大日本帝國軍の愛と友情の日々

逓信省の検閲済でありますが、男色趣味満載ですので、苦手な方は華麗なターンでご退却下さい!所謂BL小説サイトです。右側に注意書きがございます。必ずご一読ください

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  綿津見の波の色は・第佰捌拾捌話

内心で激しい葛藤と闘っているということにも気付かぬまま、鷲頭は嵩利を他所に、持ち出してきた椅子を元の小部屋に仕舞いに行ったあと、薄暗くなってきた室内の照明を調達している。ゆったりとした歩みを進めながら、壁に設えられているスコンスを燈してゆく。

壁面の一角に暖かな色が燈ると、室内に漂う薄闇が存在感を増した。

僅かに翳り始めた陽を報せるように、洋館を囲む深緑からは蜩の鳴く声が聞こえてくる。和と洋の美が調和を成すこの華麗な空間に、侘び寂びを想起させる粛々とした蜩の声が流れて違和感もなく溶け込み、今度はまるで相反する閑寂な趣が立ち現れてくる。

そのなかに立つ二人の男は、少しの間を置いて対峙した。

改めて嵩利を頭からつま先までじっくりと眺め、自然と浮かぶ笑みを堪えようともせず、手近な長椅子に腰を下ろしながら嵩利へ視線を送り、隣へ来ないかと誘ってみる。

「…まだ、怒っているのか?」

訊いてはみたが、判じかねた。

剣呑な色にも似たものを滲ませて、じっと鷲頭を見詰め返している伴侶は相変わらず黙ったままで、ともすると本当に誰か知らぬ男のようにも見えてくる。概ねそれは、口髭の似合う逞しい面構えになった所為もあるのだろう。

「ん…」

長椅子の上で身じろぎをしたとき、左の脇腹が疼いた。寝込みを襲われたときだな、と鷲頭はそこを軽く擦った。からだの動きを封じ込められまいと、少し無理に捻ったのだ。

「きみがあのような真似をするとは…」

背凭れにからだを預けながら言う鷲頭は嵩利から視線を外すと、物憂げな声音を響かせた唇から、ほうっと微かなため息を漏らした。口許へ遣る手の動きは緩やかで、指先がゆるりと口の端を撫でてゆく。

その緩慢な動きにさえ、艶かしい匂いが漂う。

己が与えた毒の甘さを思い出したから、というだけでは最早ない。そもそも先刻からして―否、そうではない。もう既に、あの侵しがたい寝姿を以って、その匂いがあったのだ。そう嵩利は結論付ける。

おそらく、己の変化に鷲頭は気付いていない。言葉ではとても表せぬほどのものだのに、それを嗅ぎ取ったのが果たして、伴侶である嵩利だけに留まっていたのか、どうか。

「本当に…あれをぼくだけに見せていると、言い切れるのですか?」

とてもそうは見えぬと、こちらを振り向く鷲頭の困惑した表情を認めながらおもい、嵩利は窓辺を離れて長椅子へ詰め寄った。

「凡そ長官らしからぬ振る舞いだと、言いたいのだな?公邸で転寝など、あれが初めてだ。もうせぬと誓って言う。だから―」

もう怖い表情はするな、とそう継ぐ筈の言葉は響かなかった。前触れもなく唇を奪われ、蕩かされるくちづけによって果敢なく、尽きる。

抱きすくめられ、そうしながらゆるゆると傾れこんで椅子に横たえさせられたからだの、軍衣の隙へ手指が忍び込んで探ってゆく。それらに含まれるのは、噎せるほどの甘さを含んだ蜜だ、と鷲頭はおもった。知らず、ぞくり、とからだに戦慄にも似た震えがはしる。

確かに、伴侶の―嵩利が与えてくれる甘さには違いなかった。それは疑いようがない。それでも、どこか獰猛な飢えを滲ませた行為は、ともすれば鷲頭をいいように弄びかねぬような、荒々しさを孕んでいるように感じる。

濃い情欲の匂いを紛々と放って憚らぬ伴侶の、逞しい顔つきは凄艶としか言いようがない。首筋に吸いつかれて離れたときの横顔を認めた鷲頭は、そうおもって思わず呻いた。

ここに居るのは鷲頭の知らぬ嵩利だ。

それにしても怪しからん、と戒めを心で呟くも、半ばで掻き消す。夜の帳がおりる今、二人を隔てる力は存在しない。此処は疾うに、二人だけの時と場所へと密やかに音も無く入れ替わっている。

―きみがどの様に変わろうとも、それは些細なことだ。死を以ってしても別てぬ愛を与えてくれたのは、きみだ。委ねることに何も躊躇いはない。これで私は、漸くきみの半身となれる…。

無上の喜びを感じながら、嵩利の愛撫に応えてゆく―。


本当にこれで、余人に覚られていないと言い切れるのだろうか、と嵩利は腕のしたに組み敷いた鷲頭をみて思った。

このような公務に就く場所で、分別の無い行為に耽っているというのに、甘さを含んだ叱言さえ、鷲頭は口にしていない。充分にその隙を与えている積もりだ。

その匙加減もそろそろ怪しくなりかけているが、それもこれも、鷲頭が原因であると言いきっていい。

海軍大将の身形を疾うに暴かれ、愛された証を遠慮なく肌に刻まれ、からだを拓かれつつある鷲頭には、やはり変わらぬ、落ち着いた艶と色香が匂っている。

けれども、嵩利の為すがまま、抗わずに快楽に応える様をみせるのは、いま、これが初めてのことだ。

「あ…ぁ…ッ」

未だ嘗て、これ程までに甘く鳴く声を聴いたことはなかった。嵩利の与える蜜の毒に酔うことはあっても、溺れることはなかった。どこかに必ず自制を残していたのに。

慎重に解した後孔へ、指をふたつ根元まで挿しいれて内壁を探り、押し上げて掻くようにじっくりと愛撫を続けている。

「あ…あ、また…だ…。あぁ…ぁ…ッ」

頃合を計って、突き込むようにしながら手首を返し、裡へ沈めた指を翻して内壁を擦りあげた。鷲頭のからだが、びくっびくっと大きく跳ね、後孔が収縮して指を締め付ける。

鷲頭の一物は、半勃ちになったままだ。それでも今の行為で達したかのような快楽を得ていた。鷲頭は熱に浮かされたようになって嵩利の首へ腕を回して縋りつき、浅く早い呼気を漏らして息を整えている。

からだが漸く弛緩したところで、やさしく抱き返すと、甘えるように肩に頭を預けてくる。

「落ち着きましたか…?」

「ああ…少しは、な」

やはり和館へ戻ってからでないと、存分に行為に耽ることはできぬと思ったが故、思案した結果なのであるが、鷲頭の反応が余りにいじらしい。どうかすると、理性と常識が彼方へ飛んでゆきそうになる。

「まさかとは思うが、これで仕舞いなどと言ってくれるなよ」

不意に、耳に触れる程に唇を寄せられ、低く囁かれた言葉に、嵩利は己の中で何かが切れる音を確かに聞いた。
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| 綿津見の波の色は・最新話 | 23:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第佰捌拾漆話

陸へあがってみたものの、夕刻といっても夏のこと。瀬戸内に浮かぶ島々の影に陽が隠れるには、まだまだ刻がある。それでも周囲を囲む山から、夕涼みの心地よさを孕んだ風が吹きおりてくる。

その山風は、昼の熱気と人々の活気に溢れた呉軍港を囲む町並みに、ひと仕事を終えたあとの憩いを届けているようでもあった。民家からは夕餉の炊事のいい匂いがたちのぼり、中道にある商店街にも人々が行き交い、賑わいをみせている。

こうした風景を工廠の外れから眺めるのも随分久しぶりのことで、嵩利は暫し足をとめて眺めると、微笑を浮かべた。後ろを振り返れば、既に軍艦色に塗装された長門が工廠のドックに鎮座している。

艦内に詰めきりになっていると忘れがちなことが、この瞬間、一遍に押し寄せてきて嵩利を包む。人としての日々の営みの大切さが染み入ってくる。やっと心身に己が戻ってくるような感覚と安堵とを覚えて、入船山へ顔を向けた。

帰ろう。と、その思いだけが嵩利を動かした。喧しい程の蝉の声が響くなか、ゆるやかな坂道へ歩みだす。


暑気渦巻く昼間にあっても、山に囲まれた入船山の公邸はどことなく冷涼であり、相変わらず静謐な場所である。鷲頭は鎮守府で公務に就くことが殆どだが、偶に公邸に居ながらにして軍務の指揮を執る日もあった。

今日はそのような一日で、朝から慌しかった。

来客が続き、執務室へかかってくる電話も副官が全て受ける、といった具合で、時計の針が午後三時をさす頃になって漸く落ち着いたのだが、波が引いてみればその実、受けた用件は左程に急を要することではなく、然しながら報告を要するものもありという、なんとも間延びしたものであった。

副官を鎮守府へ報告の使いに遣るのと同時に、そのまま本日の務めから放免してやる積もりで送り出すと、鷲頭は暫しの逡巡ののち、執務室には行かずに、執務室に隣接している小部屋から安楽椅子を持ち出してきて、深い緑を眺め渡せる応接間の広い出窓の片隅に設えると、そこへ身を沈める。

来客と言っても和やかなものではなく、会談や交渉といった折衝を含むものばかりで酷く気疲れしてもいたから、程なくして鷲頭は眠りにおちていった。静かな寝息の他には、コチコチと刻む時計の針の音のみで、恰も癒されるべく保護されているかのように、妨げるものは何もなかった。


なだらかな丘を登りきる頃に、変わらぬ静かな佇まいの公邸を認めて、嵩利はその前庭から洋館部分の建物を見渡した。そこは未だ一度も入ったことのない場所でもあり、内装などは美の極みを尽くした趣き、と評判の高さは噂に聞いている。然し、“公”を含む場所だということを思えば、無断で立ち入って覗くことをしてはならない。軍務などに差し支えないときに鷲頭に頼めば、きっと見せて呉れるだろう。

そう期待を抱きつつ、何時ものように洋館を回りこんで、奥に続く日本家屋の方へゆこうと視線を動かしたとき、薄いカーテンのひかれた窓辺に人影が見えたような気がして、嵩利は出窓のふちへ歩み寄った。

部屋の隅には、椅子に身を委ねて眠っている鷲頭がいた。

はっきりとは窺えないが、いやに窶れて顔色が良くない―嵩利は硝子越しに鷲頭を認めてそう思った。身に纏う夏軍装の白さの所為か、はたまた窓硝子に染みてしまいそうな程の、緑濃く茂る葉の照り返しの所為か。それならば杞憂に終わるが、久しぶりに見た鷲頭の顔だのに、こうも疲れきっているような寝顔であることから、嵩利は堪らなくなった。

―もう、この際、構っていられるか。

叱られたなら、それならそれでいい。意を決して身を翻し、居住部分の和館へあがると廊下を通って洋館へ続く扉を潜った。広々とした空間に犇めく内装と美の数々に眼も呉れず、嵩利は猫のような身ごなしで部屋をすり抜けて鷲頭のもとに向かった。

眠りを妨げまいと思い、急く気持ちを抑えたつもりだが、鷲頭の傍らに立つまでの間に物音ひとつ立てなかったわけではない。それなのに、一向に眼を覚ます様子がなかった。

休日ならまだしも今日は平日、しかも本来ならまだ庁舎を退く時刻ではない。例え午睡をとることが軍務のひとときの休息に入っているとしても、普段の鷲頭ならば―少なくとも嵩利の知るこれまでの鷲頭ならば、あり得ぬ事態である。

若しやどこか体を悪くしてのことかと、改めて寝顔を見詰めてみるが、先程よりは幾分か落ち着いて様子を覗えたこともあり、初めに抱いた不安はどうやら杞憂に終わった。ただただ、穏やかな眠りに落ちているだけなのだ。

―ああ…、良かった。

その確信を持って安堵するも、鷲頭の余りの無警戒且つ無防備な寝姿に、どうしてよいものかと狼狽を感じてさえいた。黙って傍らに跪き、つくづくと寝顔を見守ることも、後ろめたくなるようなものが、今の鷲頭にはあった。

鬢と前髪に少し白いものが増えたような気はするが、精悍さは薄れていない。感じたのは、常に身に漂う酷寒に耐えるが如くの厳しく張り詰めた気配が微塵もないことだ。それに伴って、象徴とも言える眉間の皺が殆どないことも大きな要因だと、嵩利は今更のように気がついた。

―何時からだろう。ぼくの隣で、ぼくの腕の中で眠るときのほかで、このような寝顔を晒すことがあるのか。

と、ふとそんな思いが頭を過ぎる。嵩利が認めるまでの間に、余人の中で鷲頭のこの姿を認めた者はあるのだろうか。

―若し、あるとしたなら、嫌だな。

俄かに、他愛もない怒りと我が侭な嫉妬が絡みつく。絡みついたそれが、とろり、と心の裡を舐めるように掻き混ぜ、妖しき甘い蜜が在ることを思い出させる。

ここに居るのは、嵩利が知らぬ鷲頭だ。どこか侵しがたいこの午睡の聖域を毀してでも、暴きたてて、強奪したい。そう思うと抑制が利かなくなった。

指を伸ばして、頬に触れた。そのままじわじわと這わせて耳朶に触れ、弄るように撫でつつ、身を屈めて唇を奪った。初めは軽く吸い、次には食むように唇を含み―

「―ッ、ん、んん…ッ!」

そうして突如、眠りから引き摺り出されて覚醒した鷲頭は、咄嗟に跳ね起きようとしたが、失敗に終わった。椅子の背と体の隙に腕を差し込まれ、がっちりと抱き竦められてしまう。

―何たる不覚。これが夜討ならば、枕を蹴られたことにも気づかず、眠りこけた挙句に、斬られるようなものではないか。

三度目に唇を盗まれるとき、相手の薄い口髭が触れるのがはっきりとわかったが、顔を認めることはできなかった。誰何することも叶わず、圧し掛かられる勢いのままに唇を割られ、口腔を舌で犯されるが、この体勢では到底反撃できない。

舌を絡め取られて愛撫を受けたとき、嬲られる屈辱を覚えながらも快楽を得ている己の浅ましさに悔しさが募り、涙が滲んだ。怒りの余り、相手の舌を己の舌ごと噛み切ってやりたいとさえ思った。が―

相手の、頬を撫でる手つきと肌の感触。首筋から漂う針葉樹の葉にも似た爽やかな香りに混ざる、染み付いた潮の香に、鷲頭は遂にそれが誰であるかを悟った。漸く寝覚めの朦朧とした意識から抜け出したが故の、認識である。

この相手が、嵩利だから良かったようなものの…と、まだぼんやりとするなかで鷲頭は思い、らしからぬ伴侶の行為が、このような場所で暢気に転寝していることへの叱責をも含めているのだろう、という結論に至った。

今まで抵抗らしい抵抗が出来なかったこともあり、鷲頭は観念して瞼を閉じ、敢えて嵩利の行為を受け入れ続ける。幾度も深くくちづけられ、舌を蕩かされる度にからだを震わせ、体が奥から火照って炙られるのを感じて、低く、呻くように喘いだ。

静寂に包まれた瀟洒な公邸の洋館には到底相応しくない行為に及んでいることは認めていたが、今の鷲頭にとっては嵩利の想いを受け止めることのほうが重要だった。

「春美…さん」

強奪が成功した、と内心でほくそ笑みながら、体を拘束していた腕を解き、身を起こした嵩利は、椅子のなかでくたりとしたまま己を見上げている鷲頭を見詰めて、息を飲んだ。その身に何時もの怒気も覇気も宿らず、重ねて何時もの雷の如き叱責が飛んで来ないのだ。

まるで夢から覚めきっていないひとのように、恍惚とした表情。然しその視線は彷徨うことなどなく嵩利へ静かに注がれ、己が浸した蜜の甘い毒に中てられたことを示すように、双眸は情欲に揺れてもいる。

「すまん。…迂闊であった」

そう言ったあと、椅子から身を起こして立ちあがり、嵩利と向き合った。それから赦しを乞うように切なげな色を視線に乗せ、鷲頭はそっと腕を伸ばして嵩利の頬を両掌で包み、鼻下にたてた口髭をそっと指さきで撫でて微笑んだ。

「よく似合うぞ。…どうした。…怒っているのか?」

嵩利は、今までの鷲頭の反応が偶々今の事象と重なってのものなのだ、無理やり寝込みを襲って、溶かすようなくちづけで攻めたてた所為なのだ、とどこか縋るような思いで、言葉を紡ぐ。

「いえ…。ですが…ここに入ってくるまでに幾らか物音は立てたのですが、すっかり熟睡なさっているうえに、余りに春美さんが無防備に過ぎたものですから、つい…」

我が侭な怒りと嫉妬とにかられての行為だったと素直に白状したが、それを聞いた鷲頭は少し困ったような表情をして嵩利を見ている。

「…今日は既に軍務を退いていた後のことであった所為もある。だが、何処に居てもあのような姿を余人にまで晒していると思われては困る。自邸に居るような、プライヴェートな時だけだ」

鷲頭がそう言いつつ、戸惑ったような、照れているような表情をしているのを、嵩利は眼を瞠りながら見詰めた。

「ここには誰も入って来ないのをいいことに、午睡をとっていたが…。全く以って不覚であった。きみが口髭をたてたことなど知らぬし、咄嗟のことで直ぐにきみとはわからなかったから、見知らぬ男に襲われて押し入られるかと、ほんの少しの間だが考えもして、気がどうにかなるところだった…」

恥を忍びつつしおらしく言う鷲頭を、嵩利はなおも絶句したまま見詰め返していた。いま己がどのような表情でいるか分からないが、鷲頭はこの沈黙を誤解して受け取ったようだった。

「ほんの僅かでも、伴侶であるきみを誰とも知らぬ男と間違えたことはゆるして欲しい。兎角…このところの私は、きみが傍に居ると思うと気が緩むのだ」

やはり、穏やかな気配に包まれたまま変わらない。何かが剥がれ落ちたように違う。例え寝ても覚めても、ここに居るのは嵩利の知らぬ鷲頭だ。
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| 綿津見の波の色は・最新話 | 00:30 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第佰捌拾陸話

―では、行って参ります。

そう言ったときの嵩利は声の調子、物腰と出で立ちも落ち着いたものであった。しかし、堪えきれぬ微笑と喜色に満ちた両の眸は、厳しい軍帽の庇のしたでまるで木漏れ日のように瞬いていた。それを思い返し、鷲頭はひとり鎮守府の執務机の前で口許を緩める。

嵩利の居なくなった呉鎮守府長官公邸は再び静けさに包まれていたが、不思議と鷲頭の心は穏やかで満たされていた。

長門の艤装が始まってから半年が過ぎ、大正九年の三月となり、嵩利には艤装員長の肩書きのうえに“長門艦長兼”がくっついた。工廠建造の艦は殆どが試運転前になって艦長任命がおりてくるのが恒例である。

ひとまず長官公邸という“座敷牢”に預けたものの、あのまま放っておくのも一抹の不安がある、と落合工廠長たちが危惧した所為だとか、そんな冗談が飛び出しては事務室の笑い話になっていた。

真相は兎も角、これで嵩利は大手を振って長門を闊歩することの出来る身分になった。艤装が進み、艦内の居住が可能な状態になってきたので、これまで陸上勤務だった艤装員たちは、少しずつ移動をはじめていた。勿論、艤装員長も例外ではなく、艦内へ移らねばならない。

乗艦する日の朝のことを、鷲頭は思い返している。

玄関先で踵を返した嵩利の後ろ姿、外へ踏み出す足取りはあまりにも軽やかであった。久しぶりに晴れた空の下へ飛び出してゆく童のように、躊躇いも気負いもない。

九割八分は階級相応の優秀な海軍士官だが、残りの二分にはどう逆立ちしても消えぬ海の子の匂いが漂う。その“二分”があってこその伴侶とおもう鷲頭は、目を細めて嵩利の背を見送った。

艦内が整備され、艦上の檣楼に手がつきはじめる頃には、艦内も艦上も随分と活気づいて毎日慌しくなったが、明るい賑やかさが随所にみられて、工廠やドックに人が絶えることはなかった。

艤装員一行の軍務環境は、艦へ移ったあとはもう通常の艦隊勤務と同じで、上陸休暇がおりなければ陸にはあがれない。しかし、艤装、竣工、公試、就役という各期限の定められているなか。それも、ただでさえ前人未踏の新型戦艦のこと。定規で線を引いたように予定が進むことのほうが稀であった。

艦長兼艤装員長の身である嵩利が、上陸休暇のままならぬ状況になることは言われずとも端から承知していたし、一々こちらから予定を訊くこともしなかった。偶々にでも顔を合わせられればそれで良い、と鷲頭は気にも留めずに日々の軍務に就いている。

だからと言って、何時ものように意地や虚勢を張っている訳ではない。

何故なら、あの冬の日に洋館で共に過ごした夜、蕩けるような甘い時間を思い出すだけで、心はおろか足の先まで温まるような気持ちになり、充分に満たされるのを感じるからだ。

それと同時に、以前のように烈しく伴侶を求める欲求が湧かなくなっていることに思い当たり、初めのうちこそ戸惑ったが、それもすぐに安堵へと変わった。

嵩利に対して余計な思い―焦燥、苛立ち、後悔、喪失―そういった思いが齎す不安の一切から解き放たれた証であることを、鷲頭は悟ったのだ。

そして、呉に於ける鷲頭は、鎮守府長官として厳然たる軍人で在り続けている。今に至っては軍務に私生活の片鱗を漂わせることなど、先ず有り得なかった。結果として、鷲頭の心境の変化に気づく者は居らず、まして指摘する者など皆無である。

故に鷲頭は“丸くなった”己の気質を気に留めることもせず、有るか無きかの嵩利との逢瀬を気に病むこともせず、最大の憂慮から解放された反動もあってか、益々軍務に励む日々を送っている。

***

一方で、造船部長の吉井と二人三脚で長門の艤装を進めている嵩利は、周囲の予想に反して、“名士”ぶりを発揮することもなく、艦内へ居を移してからが本番とばかり任務に専念していた。

何か、こどもじみた魂胆を隠し持っている訳ではなく、純粋に長門の艤装に携われることが海軍軍人として冥利に尽きる、と思っていたからである。

毎日のようにあがってくる提案書は、たとえ幾枚にも及んだとしても全てに目を通していたし、検討を重ねるべきものに関しては加筆や再計算を施したうえで必ず話し合いの席に出した。

そうした事柄を漏らさず逐一、計画の隙間に織り込んでゆくのもお手の物、という風になり、長門でも頼れる存在になってきた頃には、もう初夏になろうとしていた。

「鷲頭くん、そろそろ、お父上に顔を見せに行ったらどうだい?」

様々な案が折り重なり、長門の檣楼は櫓を組むような形になって、これまでの艦の檣楼と全く違う構造になろう、という所まで話が進んだとき、吉井は嵩利の肩を叩きながら、さり気なく提案した。

丁度、上甲板の士官室での会議が終わり、解散となった時だった。かなり細かい部分で皆の意見が一致した所でもあり、言うのは今しかないと、吉井は嵩利の肩に手を置いたまま、隣の椅子に腰掛けた。

もとより、否応なしに長門から連れ出して上陸させる積もりでいる。

吉井が今になって言うのには理由がある。嵩利と同じく吉井も、艦内に入ってからは指折り数える程しか上陸休暇を取っていないからだ。それも、上陸したとしても殆どが工廠のあちこちを訪ねては、装備の変更や要望を打診しに回るという有様で、嵩利の軍務に対する身の入れようには目を瞑らざるを得ない状況だった。

「忙しいのはお互いさまだから、これまで言わなかったんだ。きみが陸にあがってくれないと、ぼくも親孝行し損ねかねない」

入船山の長官公邸を出たときは濃紺の軍装だったのに、いつの間にか夏の白い軍装を身につけている―。嵩利は吉井の言葉よりも寧ろ、そのことに気がついて、会議録の書類綴りから顔をあげた。

「夕刻までに上陸の支度をして、舷門に来いよ」

「まさか、今日ですか?」

そうだ、と言う声と同時に、目の前から会議録を取り上げられ、黒表紙を閉じられるのを視線で追うと、吉井の眼と合った。その眼に有無を言わせぬものを認めて、嵩利はそれ以上は問うまいと口を閉じた。

外のことには殆ど関心を払わずに過ごしていることに思いあたる。朝から晩までこの艦のことばかり考えていた。頭を埋め尽くしていたものが突如、空っぽになったも同然で、嵩利は艦長寝室に入った途端に暫し呆然とする。

―前触れもなしに帰ったら…春美さん、怒るだろうな。

これまでそんな真似は一度もしたことがない。

それから急に、大した距離でもないのだということを思い出し、途轍もなく離れていたように感じていたことが奇妙に思えて、少し可笑しくなった。工廠を出て、公邸への緩やかな丘を登るまで、ほんの僅かなのだ。

怒る怒らぬもない、と笑みに緩む口許を手で覆ったが、暫くは消えてくれそうになかった。

指先が鼻下を掠めたとき、薄くたてた口髭に触れた。

長門に篭るようになってから少し経って、何となくたててみたのだが、似合わぬ、と嵩利本人が大いに戸惑った。しかし、嵩利を囲む面々からは、漸く髭が合う面構えになってきたな、と言われ、半信半疑でいたが、そのうち慣れて剃り落とすのを止めた。

少々箔のついた様子になった己を、鷲頭がどんな顔をして見るだろうかと、ちょっとした悪戯を仕掛けるような気分になりつつ、鷲頭の隆い鼻の下に揃うそれへ触れるのを想像しながらもう一度撫でてみると、思いの外、甘やかなものに包まれた欲求がゆるりと転がり、心のなかを混ぜる。

鷲頭への想いは、敢えて意識して蓋をしていたわけでも、態と見てみぬ振りをしていたわけでもないと思っていたが、違った。

いま、僅かにうごいた欲求が混ぜたものは、紛れもない愛情と恋慕でありながら、鷲頭を溺れさせるに充分過ぎる程蓄えた、蕩けるような妖花の蜜である。かれの渇きを潤す為に捧げるような性質のものではない。それは、すこしうごいただけでも火で炙られたような衝動を生む。それを抑えつけてきていたことに、嵩利はいま気がついた。

―嗚呼、そうか。…うん、いいよな、偶には。

そんなものを抱えながらも、嵩利は何食わぬ顔をして、何時もの軽い身ごなしで長門をおりた。
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