大日本帝國軍の愛と友情の日々

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  変わらぬ青空のしたで・第漆拾肆話

 朝日では特に荒天にも見舞われず、順調な航海を満喫している最中であったが、惟之は艦隊勤務の必要もない、ただの旅客のようなもので、要するに暇でしかたがない。

 何かと艦内を歩きまわりたがり、特に下士官や水兵から、軍艦家業特有のよもやまの話をきくのが楽しみで、昼食後の休憩や、就寝前は言うに及ばず、夜中などにも起き出して、不寝番をしている者のところへ、ひょっこり顔を出すようなこともやっていた。

 それが口伝いに士官たちの間にまで広がり、普段は言えぬような話―たとえば上官のちょっとした失敗談―を、すこしばかり色をつけて、惟之へ面白くきかせるような時間が、ほんの十日あまりで定着しつつあった。

 このまま放っておけば、司令長官の噂話まで流れかねない、威厳も崩れかねん、怪しからん。と、艦長の加藤大佐が日焼けした精悍な顔つきを、一層厳しくして惟之へ詰めより、

 「水兵たちが余興にと、話をお聞かせしたというのは聞き及んでおります。しかし、あのようなものは与太話。それを聞きに夜な夜な抜け出されるようでは困ります。陸の将官を軍艦のうえで、万が一の憂き目に遭わせたとあっては、私が切腹するだけでは済みますまい。ご自重ください」

 と、これもまた本心いつわりないことを言うと、惟之は艦長の肩を叩いて、にこにこしているだけで一向に効果がない。

 まったく惟之には憎めないところがあり、加藤はたちまち眉を八の字にしてまごついた。初日に艦橋へ案内してからというもの、すっかりこの小柄な将官をすきになってしまったからで。

 海軍のしきたりなど、詳しいことは何も知らなかったが、惟之は乗船した次の日に、いきなり艦長室へやってきて、

 「艦長、一緒にめしを食おう」

 と言って、その日以来ずっと料理を運ばせ、加藤と差し向かいで三度の食事をとっている。

 そもそも艦長という職は孤独なもので、下手に艦内をうろつけば、部下たちの邪魔になってしまうのが関の山で、食事どきも、佐官は他の下士官や上官などと席を共にするが、艦長はいつもひとりである。

 城内司令長官やその幕僚のいる席に招かれたとき、加藤艦長のすがたがないことにすぐに気づいて、翌朝訪ねていったのだ。

 そういう決まりですから、と言う加藤に惟之は、そんなはなしがあるか、ひとりでめしを食うなんぞ。陸に落ち着けん海へ出て、食事ちゅうのは心身を保つ一番の要素じゃろ。それをひとりちゅうのは、理に適っちょらん。と、憤慨したのだ。

 別にそれを、城内に抗議することもなかったし、他の誰かに零すこともしなかった。そこは惟之なりの加藤への気遣いのようなもので、英国へ着くまでずっとそれを徹した。

 そんな些細なことにもよく気がつく惟之は、朝日の乗組にとって好もしい人物として印象に残った。


 と、惟之がこのように戦艦朝日に乗船し、海を渡っていることは、これから訪問する先の、欧州各国にある大使館の大使にさえ、知らされていなかった。

 予定通り三月半ば、英国に到着した日本の表敬訪問団が、歓待をうけているころにようやく、それらしき噂話が舞い込んできたくらいで、再びの日英同盟締結を改めて喜ぶ話題として、現地に滞在している日本人のくちに乗せられた程度であった。

 そんな様子であるから、独逸大使館駐在武官である和胤は、惟之が欧州の遍歴に訪れることなど、まったく知らない。しかし、それが原因とは露しらず、ぱったりと届かなくなった、惟之からの手紙について頭の片隅で気にしつつ、日々の任務についている。

 日本では再び、桜が咲き初めるころになるか、和胤は本朝からの電文による通達で、明治四十年四月一日付けを以って中佐へ昇進していた。


 ―ところで。

 日本の陸軍はその創生のころ、独逸式の戦術を学びいれた経験がある。当初は仏蘭西式のどちらを採用するかで紛糾したこともあったが、陸軍大学校の設立とともに、作戦の大家である某少佐を独逸から招いて、その教授をうけたのだ。

 以来、その縁もあってか陸軍は何かと独逸贔屓に傾くことが多く、外交においてもそこはかとなく、それが慣習のようになっている。

 そういう背景もあって、惟之は表敬訪問団の一員として、ひと月を英国で過ごしたが、急かされるようなかたちで欧州へ旅立たされた。

次のふた月半を仏蘭西、その次のふた月を墺太利へと、やや駆け足での視察を終え、明治四十年九月、独逸の伯林へ到着した。

 中将の訪問となるだけあって、独逸側からそれなりの出迎えを受け、そのまま車に乗って官邸や軍部へ案内される。大使館から付き添い兼、通訳の武官として来たのは、和胤ではなく部下の坂本大尉ひとりだけだった。

 ―まあ、何か事情があるのだろう。

 今や中佐で、駐在武官の責任者のような立場にいるだけに、来たくとも来られないのかもしれなかった。

 軍部からの帰り、車のなかでそれとなく坂本へ訊ねると、なんと、十日前から大使より受けた所用で民顕へ行っており、ひと月は帰って来ないという。民顕といえば、視察先の墺太利から鉄道を乗り継いで、つい数日前に、目と鼻の先を通ってきたばかりである。

 しかも、和胤には惟之が英国への表敬訪問団のひとりであることはおろか、伯林へ来ることも知らされていないというのだ。

 他の武官からして、惟之の訪問を知ったのは一週間前で、大使秘書官が電文を持ってきたときは、目を疑ったほどでした、と坂本は素直に白状する。

 その、あまりといえば、あまりの巡り合わせの悪さに、惟之は落胆の色を隠さないでいると、気の毒におもったか、坂本が夜になって滞在先の大使官邸へ、海軍の駐在武官と共に訪ねてきた。

 麦酒の美味いものがあります、などと言って一式持ちこむと、たちまち持ち前のあかるさを発揮して、惟之の憂さ晴らしにつとめてくれもした。惟之も生まれて初めて乗った軍艦、朝日でのできごとを、諧謔を織り交ぜて話してきかせ、その晩は大いに盛り上がった。

 翌日になって坂本はさっそく、民顕にいる和胤へ電文を打とうとしたが、惟之がそれをやめさせた。もう、いつもの悪戯好きが顔を出している。

 こうまで再会に手間取らされるのなら、いっそ死ぬほど驚かせてやろうとおもったのだ。坂本から和胤のこれからの日程の仔細を聞き知っているから、いくらでも立ち回ることができる。
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