大日本帝國軍の愛と友情の日々

逓信省の検閲済でありますが、男色趣味満載ですので、苦手な方は華麗なターンでご退却下さい!所謂BL小説サイトです。右側に注意書きがございます。必ずご一読ください

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  綿津見の波の色は・第佰肆話

或る方面から密告が舞い込んできたのは、明治四十五年の一月で、英国滞在中である纐纈へ帰朝命令がくだり、司直と海軍軍法会議とがかれを裁き、纐纈を含めてかれにかかわった”名士”たちが次第に、ぽつぽつと表舞台から姿を消してゆくこととなった。

贈賄だとか、職権濫用だとか、海軍将官として其の品位を著しく貶めるは由々しき悪例也、とか、名目はそういった類のものであったが、本当のところの理由は、英国駐在先任武官の橘田秀規中佐が嵩利を経由して鷲頭へ託した書状―これも速やかに法務局へ回された―と、纐纈のかつての腹心であった山科忠之中佐の供述調書にのみ収められ、余人の目に一切触れることはなかった。

橘田中佐は、その功を陰ながら称されたが、真冬になっても日本へ帰るゆるしが降りず、病を抱えながら結局、纐纈の残していった穴を埋める羽目になってしまった。

駐在武官兼艦政本部造船顧問官として、造船士官たちの面倒を見るについて、手抜かりはなかったけれども、肺湿潤とともに肋膜もわるくし、よく熱を出した。発熱で赤い顔をしているか、軍務にくたびれ切って青い顔をしているかどちらかであった。

軍務局の局長執務室にも当然、それらの英国でのうごきや、纐纈の軍法会議についての情報が届いていた。

嵩利は人あたりのよい橘田の苦労をおもって、即座にかれへ手紙を書き送った。鷲頭も勿論同じようにして励ましの手紙を送ったが、それだけでは済まない。橘田にはこの”事件”については大きな恩があるだけに、人事局長の新見へ談判を持ちかけるなど、早期に帰朝できるよう手を尽くしていった。

軍務局長先任副官兼秘書官を不備なく三ヵ月の間つとめあげ、嵩利が海軍中佐へ進級することとなったのは三月一日であったが、その日は小雪が降っていた。雪化粧された赤煉瓦はなかなか壮麗ではあったが、どこにも春のきざしが見えぬほどの寒さには、何か嫌なものが含まれているようで、進級の通達を受け取っても余り嬉しく感じなかった。

海軍大学校へ臨時の教官として乞われ、週の一日か二日はそれで海軍省を離れたが、軍務局長先任副官の職からはとうとう降ろしてもらえなかった。鷲頭の意向なのか純粋に人事面での意向なのか、敢えて訊くことはせず、二足の草鞋を履いてよく励んだ。

春のぬくもりが待ち遠しい、などと言っているような余裕もなく、築地と青山と霞ヶ関を行きつ戻りつしている間に、気がつけばあちこちで桜の蕾が今にも綻びそうになっている。もうつめたい北東の風はぴたりと止んで、甘やかな南の風が帝都からすっかり冬の名残を拭きとって、微笑を湛えている。

その春の匂いの濃くなってきた或る日、軍務局長執務室で午後の茶を嗜みつつ、窓辺に据えなおした長椅子で鷲頭と嵩利が寛いでいるところに、ひょっこりと橘田が訪ねて来た。厳しかった冬を乗り越えてきた苦労のあとに待っていたのは、大佐への進級と、漸くゆるされた帰朝と、病気療養のための休暇だった。

「あ、いや、これは、お寛ぎのところ申し訳ない」

と腰も低く恐縮しながら、真新しい大佐の礼装姿で室内へ入ってきたのを見たとき、嵩利は長椅子から跳ねるようにして立ち上がり、即座に席を勧めた。親身になって甲斐甲斐しく橘田を気遣う様子は、微笑ましいものがあった。

英国でかれの補佐官をしていたのも、”事件”以来文のやり取りをしていたのもほんの数ヶ月の間だったが、確りと絆のようなものが出来上がっていた。

それはふたりが共に鷲頭を尊敬していることから始まっているから、志を語り合い、士官として、人としての付き合いに及ぶに至っても、必ずどこかで鷲頭へ帰結する。ふたりは互いが兄弟のような積もりで居り、要するに鷲頭を頼もしく”親父”のように見ているわけなのだ。

「まさか私の代わりに、加藤少将が着任とは思いもしませんでしたよ」

欧米視察と銘うって、鷲頭の親友である加藤は日本を発ったが、これはかなりの長旅となる。鷲頭のあと横須賀鎮守府参謀長になっていたが、裏で参謀総長や陸軍大臣と緊密なやりとりをしていた。

そのなかで、参謀総長の杉は自身をとうとう”沢庵の重し”であると認め、胆を括ったらしく、身動きのできぬじぶんの代わりに、欧州の情勢を詳しく報せてくれと、内々に加藤へ頼んだのだという。

「時局がああだったから、致し方ないが、あいつは佐官のころ、行きたいと言っても欧州へはとうとう一度も行かせて貰えなかったからな。きっと喜んでいるだろう」

どこまでも恐縮して言う橘田へ、鷲頭はくだけた口調で言って、厳しい目許を笑ませた。
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| 綿津見の波の色は・101―110話 | 11:43 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

橘田大佐、お帰りなさいませ。

とてもほっとしました。ゆっくり養生なさってください。
中佐の教官姿、眩しいです。教わりたい……

| misia2009 | 2010/10/09 19:30 | URL |

コメント返信です

橘田は病が治るまで道後温泉で謡いなんか唸ってそうです。療養があけたら、筑波の艦長として海でのびのび過してもらうつもりです。

嵩利は大学校教官になっても、昼休みや何かに釣竿かついで抜け出しています。

ある意味で名物教官として、大尉少佐の学生諸君の記憶に焼きつきそうです。

| 緒方 順 | 2010/10/09 19:59 | URL |















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