大日本帝國軍の愛と友情の日々

逓信省の検閲済でありますが、男色趣味満載ですので、苦手な方は華麗なターンでご退却下さい!所謂BL小説サイトです。右側に注意書きがございます。必ずご一読ください

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  綿津見の波の色は・第佰漆拾壱話

再び机上へ目を落とした嵩利は、この場に長居し過ぎたことに思い当たり、海図と設計図を巻いた。それらをすべて角筒に納めてから慌てて中庭へ出てゆくと、つい先刻までそこに佇んでいたはずの顕子の姿が消えている。礼装のフロックコートも一緒に。

「参ったな…」

渡英する前にここへ滞在していた嵩利の気侭な振舞いを顕子は見知っていたから、いつものことと思って客間へ届けに戻ったのだろう。自邸に居るような気軽さで、ついそこらへ放ってしまった迂闊さを恥じつつ、嵩利は少々情けない格好のまま中庭をもと来た方へ歩き出した。

「鷲頭様」

幾らも歩かぬうちに、ゆったりとした柔らかな声に呼ばれ、立ち止まって振り向くと、回廊から低い階を降りてこちらへやってくる顕子がみえた。すらりとした背に良く映える白いワンピースドレスを纏った姿は先ほど、書斎の窓から認めている。

少し陽が翳って肌寒くなったとみえ、肩に天鵞絨のケープを掛けていた。アールヌーボーの紋様が銀糸の刺繍で縁取られている群青色のそれには見覚えがある。英国滞在中に立ち寄った仕立て屋で見つけた生地で、顕子のために贈ったものだった。

束髪に結い上げた黒髪をただひとつ飾る銀の簪も然り。航海の道標である北極星のごとくそこに輝いていた。顕子の装いには絢爛そのものというような華美な色合いはないが、それが却ってかの女を引き立てている。

「先ほどまで、書斎にいらっしゃいましたの?」

無邪気に問うてくる顕子の声も殆ど耳に入っていない。

英国に居るときは何の気なしに手にとって、遠慮の“え”の字もなく好き勝手に過ごさせて貰った礼にと思い贈ったものが、まさかこのような調和を成して目の前に表れてくるとは思ってもいなかった。

「どうかなさいまして…?」

「あ、あぁ…、すみません。いつもの癖で…、迂闊でした」

そう言ったとき、嵩利はどんな表情をしていたのか。結婚してから嵩利は気になって顕子に問うたが、ずっと後年になるまで明かしてくれなかった。その日まで、長らくかの女だけの秘密になった。


狼狽しきっていた嵩利は、顕子の携えている礼服がブラシを入れられて綺麗になっていることに気づいて、やっと我に返った。


父が海軍を務め上げたこの佳き日を台無しにしてしまうところだったのだ、と言われたようであり、嵩利は礼服を受け取ると素直に頭をさげて謝り、礼を述べた。

「わたくしに謝らなくてはならないのは、鷲頭様ではなくてお父様ですわ」

と、ここで顕子は急に幼子のような拗ねた口調と表情をともにみせた。頬を赤らめて唇をちょっと尖らせた様子は、何か小鳥のような―白文鳥にも似た愛らしさがあり、微笑ましかった。

「どういうことです?」

「今日のお祝いの席に鷲頭様がお招きされていること、わたくしちっとも存じませんでしたのよ。皆様にアフタヌーンティーを支度しているときに、セットが一組余って…、そのとき初めてお父様が仰ったのですから」

「お父上の、いつもの悪戯だったのでは…」

「いいえ、それだけではありませんの。あれから、鷲頭様が英国へ行かれてからのことをお尋ねしても、お父様は貝のように口を閉じておしまいになって…。でもあの日、英国にいらっしゃる鷲頭様からお土産が届いたとき、…余りに突然のことでしたけれど、とても嬉しゅうございました…」

目の前で恥じらって俯く乙女はたしかに、高嶺の花よ、至天の星よと巷で囁かれている城内子爵の令嬢に違いないのだが、いまこのときの嵩利は、そのような眼で顕子を見ていなかった。

「―顕子さん」

「はい…」

「ぼくは先刻、確かに書斎に居ました。そこで相変わらず、お父上の所蔵されている資料を読み耽っていたのです。時間を忘れる程没頭していた筈なのに、何故かほんの一寸、顔をあげて窓の外を見たのです」

「はい」

「そのほんの僅かなときに、貴女がそこで―」

一度言葉を切って嵩利は振り向くと、白い貝細工のテーブルセットへ顔を向けた。そこで察したのか、顕子は途端に頬を染める。

「頓着なしに放っておいたこの上衣を手に取るのを、偶々見てしまったのです。そのときの貴女は、とても愛しみのある表情をしていた…」

「鷲頭様…」

「気の利いた紳士の如き振る舞いは不得手なので、はっきり言ってしまいますが、許してください」

「―ええ。どうぞ、仰ってくださいまし」

そこで顕子は、少女のように羞じいっていた気持ちを奮い起こして、嵩利の想いを受けとめるべく、顔を上げて確りと言葉を返した。

「英国に行ってからお父上に何度か手紙を差し上げていましたが、その際に貴女のことを時に思い出していました。思えば貴女からすれば、ぼくは全くの他人で…渡英前に突然この邸に現れて、好きなように過ごして去っていった闖入者のようなものだったのに、貴女はぼくの知らない所でよくお世話をして下さっていたのだと、ある時気づいたのです」

顕子は黙って聴いている。嵩利の声に熱意と真摯さが滲んで、しかしそれは静かに、優しくかの女を包んでいた。

「そして先刻、貴女のお話をきいて心に決めました。ぼくの妻になってくれませんか?…海と艦のことばかり考えているような男ですが…」

肝心のプロポーズのあと、照れたような申し訳なさそうな風にして呟いた言葉に、顕子はとんでもない、というように首を横に振った。

「恐縮なさることではありませんわ。鷲頭様が一途に海軍のお勤めをなさっているお姿を、時折そぉっと書斎へ窺いに来ていましたの。とても真剣なお顔をなさっておいでで…。あの時の鷲頭様をいつまでも忘れずにいたいと、わたくしは今もそう思っております。これからも、それは変わりません」

―これは、嵩利が戦艦長門艤装員長に補せられ呉へ赴任する、ほんの半月前の出来事である。
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| 綿津見の波の色は・171―180話 | 03:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第佰漆拾弐話

内々の退官祝いを終えた翌日。嵩利はふたたび城内家を訪れ、当主の居室に通されていた。

「てっきり書斎に行くのかと思っていたよ。何か訊きたいことでもあるの?」

「いえ。今日は、それよりも大事なお話があります」

「海軍のことなら、もう諾いてあげられないからネ」

と、ふたりの会話が始まって、まさか城内はこのあと居ずまいを正した嵩利の口から、

―顕子さんとの結婚をお許し頂けませんでしょうか。

などという言葉が出てくるとは露ほども思っておらず、手にしていたベネチアングラスを取り落として高価な絨毯にワインの染みを拵えてしまったが、そんな粗相などいまは些細なことでしかない。

末娘の一目惚れから端を発して今日まで、あたまを悩ませ続けていた一大事。傍目には表面は普段と変わらぬ風であったが、内心では気もそぞろ、ややもすると家のことも、己が身に託されようとしている次の御役目にも、全く手がつかぬような有様であった。

それらを踏まえると、あまりの急展開に直面した城内はとっさに言葉を返せなかった。どのくらい呆然としていたか分からない。何度か瞬きをして、眉間を指で揉み解してから漸く、目の前で手をついて頭を下げている嵩利を認める。

「鷲頭くん、ぼくに頭を下げる理由はないよ。ホラ、顔をあげて」

「大事なことですから、城内さんが返答を下さるまで―」

健気に言う嵩利がいじらしく、またもどかしさも相まって途中で言葉を遮ると嵩利の手を取って体を起こさせた。城内はそのまま、嵩利を抱きしめて言った。

「いいの。ぼくはずっと待っていたんだから、きみからそう言ってくれるのを」

「え…ッ、それは、いったいどういうことです?」

「渡英前にここへ来ていたきみに、顕子が一目惚れしちゃってネ。でもきみはあっちに行っても相変わらずで…。きみにその気がないのにぼくが無理に話を持っていくのも、おかしな話でしょ?それに、そんなことをしたら顕子が一番悲しむ。それだけは避けたかったから、ずうっと待っていたんだ」

「そうだったのですか…。そんな状況だったとは思いもしないで…すみませんでした」

「いいんだ、もう。過ぎたことだもの」

元のように対峙すると、城内は不意に物憂げな眼差しを漂わせて呟いた。

「問題はあとひとつあってね。家と家のことなんだ」

「それは、父もよく相談してこいと言っていました」

「きみが家を継ぐから、最終的な判断はきみに任せるつもりなのかな、鷲頭くんは。それで、何て言っていたの?」

「懇意にさせて貰っているとはいえ、相手は子爵家。爵位も持たぬ鷲頭家に令嬢を嫁がせるというのは、城内家にとって良いと言えるかどうか、ということを気にしていました」

その答えに、城内は仏頂面になって頬を膨らませた。

「フーン。それが本音だったら、何て水臭い話だろうね。でも思うにそんなのはただの建前だネ。いま家と家の問題と言ったけれど、これは鷲頭くんとぼくの問題なんだ。きみの父御は、ぼくン家と姻戚になるのが嫌なンだよ。だって彼、ぼくのこと嫌いなんだもの」

「それは…ぼくには分かりかねます…」

「きみの父御に嫌われるについては、ぼくに非がある。だからこの件については今夜にでも鷲頭くんを招んで、よくよく話し合わないと。これだけは父親同士の問題だから、きみは心配しなくていいんだよ」

城内と鷲頭の間にどんな経緯があって今に至るのか、嵩利は知らない。めったなことでもない限り、他人を批判したり貶すような言葉を鷲頭の口から聞いたことは、今まで殆どないからだ。

「ま、それは置いておくとしてだネ」

打って変わって、城内は目を輝かせながら身を乗り出した。

「いったい、どういう風の吹き回しで顕子を貰う気になったの?」

ふたりの間に紡がれていた運命の糸が、どのような経緯で結ばれたのかを詳らかに説明せよと言われても、こればかりは嵩利と顕子の心の通い合いの末であって、言葉で全てを説明しきれるものではない。

顕子にとってこの日の装いは、他のどんな豪奢な品よりも勝る生涯の宝となったし、嵩利はこのとき着ていた海軍大佐の礼装を、進級する度に仕立て屋に出して、階級章から何から全て付け直し、大将で予備役に編入されるまで大事に袖を通して身につけた―。

そういった類の深い想いがこもっている。

だから嵩利は、もうすぐ義父になるであろう城内へ茶目の効いた笑顔を向けて、ただひと言、

「それは内緒です」

と言うにとどめたのだった。
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| 綿津見の波の色は・171―180話 | 21:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第佰漆拾参話

―呉にて、長門進水式。

大正八年十一月九日の日記で、軍務について触れているのは僅かにこれだけである。


“かの女”の“一世一代の晴れ姿”を見届けることもなく、嵩利は今朝も変わらず普段通りに赤煉瓦へ登庁している。呉へ行くまでは海軍省出仕の扱いである。

「なァんだ、ちゃんと来ているのか。貴様のことだから今日は何食わぬ顔をして、ヒョイと呉へ顔を出しているかと思っていたのに」

などと、軍令部や各局の課長クラスの任に就いている同期たちが、廊下を歩いている嵩利を認めて冗談を言ってくる。確かにそんな言葉を掛けられてもおかしくないが、それよりも大切な用事があるのだ。

先ず軍務局へ行き、昼になる少し前に人事局を出て、次官執務室を訪ねる。海軍次官は今月のはじめから新見が就いている。海相の那智は呉に出向いて不在であり、今日は夕刻まで留守居役である。

「万事滞りなく進んでいるようで、何よりです」

挨拶のあとに新見はそう言って、執務中にもかかわらず笑顔をみせる。今日は特に忙殺されている様子もないのだなと、茶を淹れてくれている副官の横顔を見ながら思い、勧められるまま椅子へ座った。

「鷲頭くんは、今日も城内さんの所ですか?」

「はい。式が来年になるか再来年になるか…わかりませんが。何でも呉へ行く前に、諸々の相談だけはしておきたいそうです」

歯切れも悪く、他人事のような口ぶりで言っているが、嵩利どころか顕子さえも婚礼に関する件については口を挟む余地がないからであって、関心がないような物言いになってしまうのは致し方がない。寧ろ関わりたくても蚊帳の外の扱いで、両家の父親が主導権を握って離さないような現状である。

「城内さんが何か勝手なことをなさらないか、鷲頭くんは警戒しているんでしょうね。暫く放っておいて、お二人の好きなようにさせて置けば、そのうち何事もなかったように粛々と進みますよ」

長年の付き合いで、鷲頭と城内の間にある問題についてとっくにお見通しの新見は、さらりと言って嵩利を慰める。

「そうなって貰わねば、困ります…」

ふたりの父は、何のかんのといいつつも要するに嵩利に対する扱いについて押し問答をしているに過ぎず、それが本来の婚礼についての諸々まで及んで意地の張り合いになっているという有様なのである。

天井を仰いでため息をつきながら、嵩利は先ほど訪れた人事局でのことを思い出していた。

顕子との婚約を認めるという旨の、城内と鷲頭の署名が入った書類を提出しに行ったのだが、人事局の課長も嵩利の同期生であった。

口が堅い者でなければ、人事局には居られない。

そういう機密・秘匿の内部事情を扱う部署ではある。然しながら海兵二十七期のクラスメイトは、不惑を過ぎてなお独り身でいる嵩利の行く先を陰ながら案じてきていた。中にはもう諦めている者もいたが、人事局の課長は諦めていない者の部類に入っていた。

「なァ鷲頭、こればかりはおれも口に戸を立てられるか、甚だ自信がないよ」

要するにクラスメイトの間にだけ、野火のように広めるつもりであることを暗に言ってみせたのだが、これについて嵩利は敢えて止めなかった。ここで彼らにソッと洩らしてくれれば、ひとまず安心させることになると思ったからだ。


「他に、何か問題があったのですか?」

執務机の向こうから気遣わしげに尋ねてくる新見は、信を置かれて人事局長を長年務めたひとだが、先ほどの課長とのやりとりを聞いたらどのように感じるだろうか。軍務には厳しい彼のことだから、あとで咎めるかもしれない。嵩利はそう思って首を横に振った。

「いいえ、何も…」

平静を装ったつもりが、きっと妙な顔をしていたのだろう。新見はそれを見逃さず、暫し小首を傾げると何か考える様子をみせながら、嵩利をじっと見詰めてくる。

「随分前に、きみのことを頼むと父上から言われて私はまだその積もりでいるのですが…?」

「ええ、それは勿論です」

そう返したのは殆ど即時だった。そうですか、と言って頷いたあと。新見はちら、と咎めるような不満げな色を面に浮かべて席を離れるなり、こちらへ近づいてくる。嵩利はますますたじろいだ。

「それならば、思い切って私に言ってご覧なさい。必要であればこの胸の内にのみということにしますから」

見る限り、新見は純粋に嵩利を案じているようであり、のらりくらりとかわせる相手ではないうえに、逃げ場がない。

「そういったことではなくてですね。イヤ尤も、新見さんの胸の内にしまって頂けるならそれに越したことはないのですが…」

「どういうことです?」

「あー、その、婚約の届けを受け取った人事局の課長がクラスメイトでして」

観念して言うと、新見はそこで察したらしい。嵩利の隣へ腰をおろすと、可笑しそうにくすくすと笑った。

「確かに、二十七期はこれであと残すところ…守本くんのみですからね。人情としてクラスメイトに知らせたくなるというものですが、きみが呉へ行ってから妙な憶測や噂が流れるのだけは阻止せねばなりません。その点だけは人事へ伝えておきましょう」

「ああ、良かった…。冷や汗をかきました」

「私はそこまで、融通のきかない男ではありませんよ。先の言葉もあるのですから、遠慮せずに頼りになさい」

心底安堵している様子の嵩利を横目にして、新見は心外だという風に言った。内心では、こんな不器用なところは鷲頭に似ずとも良いのにと思う。しかしそれも、屈託のない笑顔を向けられた途端に消えていってしまう。
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| 綿津見の波の色は・171―180話 | 22:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第佰漆拾肆話

「鷲頭くんは、何時になったらぼくを信頼してくれるの?」

居室で鷲頭と対峙した城内は憂鬱そうな声で訊いた。心底から沸きあがる嘆きを長いため息に乗せつつ脇息に凭れ掛かると、背筋を伸ばして端座したまま身じろぎもしない鷲頭を見詰める。


海軍の務めを全うして退官の花道を歩き去っていった城内の背を見送ったとき、かれの歩んだ日々を知る者ならば、こもごもの感慨を覚えずにいられなかっただろう。鷲頭もそのなかの一人であり、今もなお、かれに対する態度に頑ななものを抱いている。

放埓な振る舞いを隠そうともしなかった若き日と、いまの城内を比べてみれば確かに、嘗ての乱行は鳴りを潜めたとはっきりと言い切れる。そして、若気の至りが齎した影響から成る関係が全て清算されていても、人を惹き付けてしまう天性の気質までは消えない。

歳を重ねるごとに、様々な功績と権力と人脈とが城内の“天賦の才”のうえに積みあがってゆき、こうして海軍を退いたいまも、本人がそれと意識していなくても、城内にかかわった周囲の人間は大いに影響を受けてしまうのである。

無邪気に周囲の人間を振り回しかねない性質が今更になって直るとも思えないが、今後の嵩利のためにも自覚してほしいと、鷲頭は懇々と説きに参上しているのだ。ここで諦めてしまっては、父親失格である。

「兎に角、ご自身の持つ影響力を自覚なさらない限り、あれが顕子嬢を妻に迎えるとなっても、あなたにはこれまで通りの距離を保って頂きたい。あれこれと陰ながら世話を焼きたいところでしょうが、それも控えて頂きたい」

いまの嵩利が城内に振り回されるようなことはないにしても、それによって周囲にどう思われてしまうかが問題なのだ。これから海軍を背負ってゆく者のうしろに、いつまでも先達の影が見え隠れしているようでは示しがつかぬというのもある。

「きみだけ独り占めして、ずるいヨ。ぼくは義理の父親になるンだから、そういう面できみと同じくらいにご子息と接したっていいじゃないか」

「あなたと私では、立場が違います」

「理詰めで圧すなんて、ずるい」

「拗ねている暇があるなら、少しは真剣に省みてください」

「拗ねてなんかいないヨ」

父親の居室でこのようなやり取りが続いているのを、顕子は茶の差し入れをする度に耳にしている。嵩利がふたりにいかに大事にされているかよくよく感じ取れるものであり、こうして憚りなく嵩利を取り合う様子を、微笑ましく思っている。


そこへ、赤煉瓦を退いた嵩利が訪ねてくる。今後の軍務を見据えると婚礼までかなりの間をあけてしまうにもかかわらず、顕子は婚約を望んだ。お帰りを待っていますと言うかの女がいじらしく、こうして短い時間でも会いに来ているのだ。

玄関のホールに出迎えてくれた顕子がにこにこ笑っているのを認めて、嵩利は困った顔を向けて訊いた。

「…またですか?」

「ええ、今日もご相談をなさってますわ」

そのまま、顕子に導かれながら声と足音を忍ばせて城内の居室へ向かうと、その道なかばにしてふたりの会話が聞こえてくるが、とても“ご相談”と呼べるような内容ではない。しかしそれは父親の立場としてみれば言い合うのも無理はないと思えるものだった。

「どうなさいます?」

「…どちらの言い分も理はあると思いますので、あとはどちらかが折れるのを待つしかありません」

敢えて止めずに好きなようにやらせて置けばよい、と新見に言われたことを思い出し、嵩利は道を引き返そうと踵を返しかける。

だがそのうち、どこからどのように話が飛び火したのか、鷲頭はいつぞやの、“呉鎮長官付副官抜擢の件”を持ち出してくる。嵩利はこれについては詳細を知らず、このふたりの間で片付いていたことであったから、つい話に聞き耳を立てた。

「例の車内でのことを言っているなら、あれはホンの挨拶なんだよって何度も言ったよねえ?」

「―そこです、あなたが自覚せねばならぬ所というのは。あの時、あれを呉へ遣ることに徹底して抗議したのも、今と同じ理由です。私の見ていないところで、あれの唇を盗るくらいのことならば何ということもないと思われては困る。これからはもっと―」

真剣そのものの口調で諭す鷲頭の言葉を最後まで聞かぬうちに、嵩利は顔に熱が上るのを覚えながらとっさに顕子の手をとると、引き潮のような勢いでそこを立ち去った。

別室に引っ込んでソファに腰をおろしたが、痴話喧嘩同然の父親同士のやりとりを思い返すと、即刻止めに行きたくもなる。

「白状しますが…あれは今に始まったことではなく、父と城内さんはもう長年ずっとあんな調子なんです」

「では今になったからといって、どちらかが折れなくても宜しいのではありませんか?鷲頭様が、おふたりから大事にされているということなのですから」

その告白にも全く動じない。器の深さは城内のそれを受け継いだのだろう。

慈母の如き笑みを浮かべながら説いてくる顕子へ、嵩利はまだ熱の引かぬ顔を隠すように片手で覆い、途方にくれた仔猫のような眼差しを送った。そのまま暫く見詰めあっていたが、嵩利は現状を受け入れるという意思を含めて、観念したように頷いた。
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| 綿津見の波の色は・171―180話 | 22:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第佰漆拾伍話

青山の鷲頭邸は、相変わらず独特の静けさに包まれている。廊下も居間もひっそりとしてい、玄関先には既に旅支度が整ったトランクなどが整然と置かれている。配達された新聞を取って戻った嵩利は積まれた荷をもう一度確かめた。

むこう二年は帰ることのない家―いつもならそこでじんわりと寂寥が滲んでくるのだが、もうそれを感じることはなかった。

数日前、城内の居室で繰り広げられた父親同士の“ご相談”を耳にしたことを、まだ鷲頭には告げていない。あれ以来、鷲頭はどこか不機嫌そうで、怒っているのか苛立っているのか、どことなく落ち着きがない。

呉鎮長官として赴任するまでは休暇をということで、その時間を目一杯使って城内と共に婚儀に向けてあれこれと手を尽くしてくれているけれども、その遣り取りには慶事によろこぶという和やかな気配はまったくない。鷲頭の姿勢は軍令部に於いて作戦を練り上げるが如き真剣味を帯びている、というのは仲人をつとめてくれることになった藤原の言葉である。

一緒に自邸に居ても、結婚する当人の嵩利が婚儀の話に水を向けただけで、途端にむっつりと黙ってしまう。今朝はその煽りか、登庁前に朝食の卓を共にしていても、鷲頭はにこりともしていない。

「春美さん」

「…」

「ぼくは呉へ行ったら工廠に所属ですし、春美さんは呉鎮長官です。またこうして顔を合わせて同じ時間を過ごせるのは、何時になるか分からないんです。もう少しお話して下さってもいいのではありませんか」

「きみの大事な将来に比べたら、そのようなことは些事に過ぎぬ。もう二度と会えぬわけではないし、何れこの家に皆で家族として暮らすのだ。その時の為に、私は今のうちに城内さんとハッキリ話し合っておく必要がある」

“あの話”を知らないでいまの言葉を聞けば或いは、頼もしい父の言動として嵩利の心にうつったことだろう。そしてしおらしく頷いて、ではお任せしますとそう返事をしただろう。

昔の話を持ち出してまで城内を説きにゆく鷲頭の真意を知りたかった。

「…城内さんと初めて会った当時は大尉ですよ、もう十年前になるというのに。ぼくは今でも世間知らずで頼りない男に見えますか、春美さん」

「な…、何の話だ」

食後の茶を淹れ終えて再び座卓を挟んで対面するなり、ひたと視線を合わせて言うと、鷲頭は明らかにうろたえて視線を逸らせた。やはりそうなのだな、と嵩利は呆れながらも確信を持ち、言葉をぶつける。

「あなたはまだ、城内さんがぼくを篭絡するのではないかと、それを危惧しているんでしょう。お邸にお邪魔していても、書斎で幾ら海軍のことに没頭していても、あの時のような隙はそうそう見せやしませんよ」

ぼくをあなたの何だと思っているんですか、と鋭く視線を向けてから、

「父親同士、積年の諍いがあると那智さんや他の上官から伺っていますから、その点で争われるのは致し方のないことと思いますが、ぼくに関して今後のそういった心配はご無用に願います」

少し突き放すように、はっきりと言い切った。

漏れ聞いた話にも、顕子は気に留めないという態度でおおらかに笑っていたから、嵩利は恥ずかしさを押し込めて頷いた。しかしその裏では何より悔しくて堪らなかったのだ。

あくまでも義父として接するようにと、わざわざ城内に釘を刺しておかねば安心して姻戚になれぬという鷲頭の気持ちはわかるが…。

「そうか…、あの話を聞いていたのか。私と城内さんとの話で解決する問題だから、きみには一切言わないでおく積もりだったのだが…却ってきみを蔑ろにしてしまっていたようだな」

尤もな憤慨を目の当たりにし、鷲頭は肩を落とすと声を低めて呟くように言った。気持ちは痛いほどわかる。愛しているが故の、鷲頭なりのやり方なのは言われずとも承知している。そこは酌んでいるのだと、気落ちする鷲頭へ告げる。

「春美さんのお陰で、何事にも後の憂いなしに飛び込めるのですから…、もうそんな表情はしないで下さい。ぼくも少し言い過ぎました」

「それは言うな。私もまだどこかできみを危ういと思っていたのだから。こんなにも、良い男に成長したというのにな」

滅多にひとの批判をしない鷲頭は、賛辞も殆どくちに乗せたことはない。面と向かってこのようなことを告げられたのは、たぶん、この時が初めてだと嵩利は記憶している。鷲頭からほろ苦いものを含んだ微笑を向けられ、嵩利は一遍に冷静さを失う。

初めて愛していると告げられたときと同じか、それ以上に心がときめくのを隠せなかった。何時まで経っても鷲頭が嵩利を案じるのを止められないのと同じに、嵩利は鷲頭にだけは何時まで経ってもこのように純真な態度をみせる。言葉も返せず照れて耳まで赤くなったのを認め、

―やはり、まだ少しばかり危ういのかも知れぬな。

と、心のうちで呟いたが、それには先程まで抱いていた後ろめたいものは何ひとつなく、愛しさに満ちている。ちら、と時計を見上げて席を立ち、嵩利の傍へ膝をつく。登庁を促すかわりに、熱っぽい頬を掌で包むなり唇を浚った。

夜の褥で交わすような深いくちづけを与えたが、今の嵩利ならばこれから邸を出て海軍省へ到着するまでの間に己を律することくらいわけはないと、何事もなかったかのような顔をして、門のそとまで見送った。
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| 綿津見の波の色は・171―180話 | 22:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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