大日本帝國軍の愛と友情の日々

逓信省の検閲済でありますが、男色趣味満載ですので、苦手な方は華麗なターンでご退却下さい!所謂BL小説サイトです。右側に注意書きがございます。必ずご一読ください

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  綿津見の波の色は・第佰陸拾壱話

「―片瀬へゆくのは、随分久し振りになるのではないか」

どこまでも緩やかな浜辺が、車窓のそとに続いている。青い海と寄せる白波は穏やかで、やわらかく砂浜を撫でてゆくようなのどかな潮騒が、嵩利の耳を絶えず擽っている。

「そう…でしたか…?」

この波の音を聞くのが、それほどの時を隔てていたということかと、ゆったりと走る江ノ電のなかでぼんやりと思う。

「進級して海へ出るまで、霞ヶ関と市ヶ谷と、青山の自宅を行き来していただけだっただろう。もう忘れたのか」

嵩利は、呆れ返ったといいたげな鷲頭の声を右の耳で聞きながら、ウン、と生返事をおくった。

―まったく、しようのないやつだ…。

いまでこそ夢心地に漂うような顔をして隣に座っているが、榛名から降りて横鎮の庁舎へ入ってきたときの嵩利は、厳しく張り詰めたような表情をしていた。それがまだ、鷲頭の瞼の裏に焼きついている。

海軍大佐―艦長―それがいまの嵩利が担う当然の任務であるから、表情にも言葉にも出していないが、その働きぶりに鷲頭は内心で目を細めている。

艦長が間違うことなく、全身全霊をこめて艦を担っていたから、長官である鷲頭は何一つ案じることなく海上生活を満喫していた。嵩利のあの表情はその証のひとつでもある。

誇張でも何でもない。

長官公室でまことにのんびりと過ごしていたのである。榛名乗組のあいだでは、“長官と参謀長は毎日のように、午後いっぱいチェスにうち興じているらしい”という噂が流れたこともあったようだが、実際そのように過ごした日もあったのだ。

独りで艦の全てを背負ってゆかねばならない、大変な重責であるが、艦長の任を何事もなくこなせたならば、将官としての資質は充分である。もっとも嵩利は進級の為に働くような男ではないが―

「何だか…、気が抜けてしまいました。春美さんは…何から何までご存知だったんですね」

ぽつん、と呟くようにして言う声と共に、ちょうど鷲頭の耳へ溜め息にも似た吐息がかかる。

「渡航のことか。あれは…きみが日に日に何かを思いつめているような様子だったし、私はあの艦でただ居座っているだけの身だ。参謀長副官に言いつけて、それとなく様子を聞いていたのだ」

「ぼくは…別段これといったことは、羽田大尉には話していませんよ」

「きみについて、十のうち一厘でもわかれば、私にはそれで充分ということだ」

横鎮の庁舎を訪ねて、橘田参謀長へ渡航について伝手を願うまでもなかっただけでなく、早ければ三ヶ月以内には目途がつくと切り出されて、本当に驚かされた。

「さあ、もう稲村ヶ崎を過ぎたぞ。そんな呆けたような顔でご両親に会うつもりか?」

「そうですね。まさか、また制服を着て帰ることになるとは思ってもいませんでしたが…」

いまは平日の午後である。腰越の停車場に降り立つと、早朝の漁を終えた網元の家々から漂う炊き出しの匂いや、石垣に干した投網に染みついた潮の匂いといったものと混ざり合った、懐かしい街並みの空気が一度に押し寄せてくる。

「ああ…」

何かを堪える顔つきで呻くような声をあげて、嵩利は道端に佇んで辺りをゆっくりと見渡した。黒い眸が俄かに生き生きと輝きだし、先ほどまで車内でみせていた、壮年の男の疲れきった姿ではなくなっている。

片瀬の家への道を辿る歩みが進むにつれて、嵩利は海の子へと還ってゆくようである。後ろ姿に漂う少年のような無邪気さと、振り向いてみせる屈託のない笑顔とに、鷲頭は初めてかれの家を訪ねたときのことを思い出していた。

あのとき鷲頭は大佐で、日進の艦長に復帰する前だった。嵩利へ艦長副官に就いてくれと頼みに行ったのが、まるで昨日のことのように思える。

午後の霞がうっすらとかかった江ノ島は、新緑が煙るように揺らいでいる。空と海の青のあいだに浮かぶ瑞々しい樹々の色は、長く陸を踏まなかった身にとって何よりの慰めになる。そしてそれが誰よりも愛している伴侶の代え難い故郷のものとなれば、尚更である。

嵩利の生家がみえてくる。裏と隣の竹林も変わらない。素朴な垣根とその向こうにみえる前庭の、手入れの行き届いた小さな野の花の生垣、心地よく陽の当たる縁側―

「ただいま、帰りました」

嵩利の明るい声が軒先に響くのは、じつに五年ぶりであった。
→【12話】 →目次へ戻る

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| 綿津見の波の色は・161―170話 | 22:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第佰陸拾弐話

変わらぬ生家の佇まいだったが、人の気配がなかった。障子がなかば開いた縁側から居間の畳が覗いていたが、敷居のそばにあるはずの、父が愛用している煙草盆が見当たらない。

「留守…か…?」

訝しげに眉を顰めつつ鷲頭が囁く。いつまでも民家のまわりを、海軍士官がふたりでウロウロしているというのは、みっともないものがある。

「父上、母上、居られませんか?」

しんとしたまま屋内から返ってくる声はなく、嵩利はすこしたじろいだ。しかしここは自身の生家である。知らぬ他人の家ではないのだし、上がり込んでも疚しいところはひとつもないのだ。

「いや待て。よもや、ご両親に何か…あったということではあるまいな。急なことであれば、艦上にいた身では知らぬままということも在り得るぞ」

「まさか、そんな。父上たちに限って―」

「万が一ということもある。この際構っていられまい、隣近所の家人に訊ねてみてはどうだ。何事もなければそれでいいではないか」

「そこまで仰るのでしたら、訊いて参ります」

千早家の隣近所といえば、裏手の坂をあがったところに会田家がある。代々網元の漁師で、気のいい親方と嵩利の父はしょっちゅう将棋をさしに行き来する間柄である。

家を訪ねてみたが、嵩利の姿を認めたおかみさんは相変わらず元気のいい声の主で、にこにこと笑顔を浮かべつつ挨拶を返してくる。

漁から帰ってきて昼寝をしていたらしい親方が、ひょいと奥の間から出てきて、相好を崩しながらおかみさんの隣に並ぶと、“遠慮しねえで、上がっていけ”と言う。

「―おお、何だい、そのことか。つい半刻前まで…おれァ信さんと一局さしてたんだが…。なんだ、津久井の…シゲちゃんよ。その、利恵ちゃんの旦那が来てよ。ふたりを車ン乗せて慌てて出掛けていったぞ」

両親の所在を訊いた答えがこれであった。津久井のシゲちゃん、というのは姉婿の高田滋のことである。

「シゲちゃん、確か新聞記者さんだろ?案外、タカ坊が帰ってくるってンで、先回りして鎌倉駅まで迎えに飛んで行ったんでねーべか。タカ坊…お前さん、めっきりここに顔出さなくなってたからなあ」

めっきり、の部分に力をこめて言われると、さすがに耳が痛い。ほとんど五年のあいだ帰っていなかったのだ。それを考えると、何か良いところで高田が海上の第一艦隊の情報を掴んで、すぐに行動をとったというのは、可能性の高い話である。

「とにかく、信さんも奥さんも元気にしとられるから、安心して帰ってくるのを待っとるが一番よ」

これらの会話を終えて、嵩利が会田家をあとにする頃。

千早家の縁側で腰をおろして待っていた鷲頭は、帰宅してきた嵩利の両親と挨拶を交わすか交わさぬかのうちに、突如怒涛のように押し寄せてきた腰越の千早一族にもみくちゃにされかけたところを、高田に救われていた。

「五年も顔を見せないとは、どういう了見だ」

「海軍のお偉いさんになって忙しいのはわかるが、横須賀まで来てここを素通りとは太ぇ野郎だ」

などといった罵倒を男たちから浴びせられたが、なぜか誰もが照れたような怒ったような、擽ったそうなものを顔に浮かべている。

「ま、ま、皆さんここはひとつ落ち着いて。鷲頭さんも嵩利も、こうして無事に帰って来られたんですから、素直に祝おうじゃないですか」

この場に嵩利が居ないことも相まって、まだ何か言いたげにしている千早家の面々を遮って、高田が鷲頭の援護に回る。いつもは取材で追いかけ回す対象の鷲頭を庇うという、妙な立ち回りである。

「お、おう。シゲちゃんがそこまで言うならしようがねえべ。そン代わり、今晩は倒れるまで丹沢の酒を飲んでもらわにゃなァ」

と、本当に四斗樽を担ぎこんできそうな調子で言い残して、男たちが引き揚げてゆく。たぶんこのあと、入れ替わりのようにして千早の女たちがやってきて、こもごもの支度が始まるのだろう。

「やれやれ、おっさんたちは相変わらずだなァ」

そうぼやく高田の顔には見覚えがあった。海軍省の会見室でいつも後方の窓際に立って、歯切れの良い明瞭な質問を寄越してくる記者だったからだ。尤も、嵩利の身内であるということは認識しているが、それは随分経ってから聞いただけなので、高田に対してはやはり新聞記者としての印象しかない。

「高田くん、きみは“帝都實報”の海軍担当だったな。…いったいここでは、何をどのように吹聴しているんだね」

苦い顔で問うと、高田は心外だという風に目を丸くした。

「吹聴…って、そりゃァ海軍の―身内の自慢ですよ。ここじゃ新聞記者の顔なんかで喋っていませんからね」

シーメンス事件から少しばかり経ったころ、“帝都實報”に、海軍士官のこぼれ話のような小さな枠ができたのだが、それも高田の担当だった。士官たちから伝え聞いたりしてきた話をもとに、これはという人物について軍人としてというよりも、人間味を前面に出した記事に仕上げたもので、かなり人気を博している。

その枠に高田は、鷲頭について書いたことが二度ほどあった。

“帝都實報”は千早一族にとって回覧板のようなもので、文字通り誰もが穴の開くほど読んでいる。加えて、名実ともに“日本の誇り”になりつつある海軍、という認識はここ片瀬の住民のあいだにも浸透していっている。

新聞にも時折名が載るようになり、一般市民にも知られつつある海軍大将鷲頭春美と、その養嗣子となった嵩利が、いつこの郷里へ骨休めに来るのかと、みな首をながくして待っていたのだから、あのようにして腹をたてるのも無理はない。

「鷲頭殿、皆に悪気はないんじゃ。まあ、今晩は出された杯は気持ちよく干していってくだされ。それで概ね帳消しじゃろうよ」

騒ぎに紛れていつの間にか玄関を潜っていた嵩利の父・信利が、居間から煙草盆を持って出てきて言い、ちょこんと縁側へ腰をおろしつつ、屈託なく笑った。
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| 綿津見の波の色は・161―170話 | 23:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第佰陸拾参話

昨晩は千早一族あげての盛大な宴会となって、“無沙汰”をしたツケを支払うかたちで、杯に注がれる酒という酒を飲み干す覚悟でいたのだが、嵩利がその窮地を救った。

何とか人並み以上には飲めるようになった嵩利が、“そのツケなら、ぼくにも払う義務があります”などと言ってほぼ半分ちかくを受け持ったのである。

しばらく酒量を控えていた鷲頭の身を案じての助太刀だったが、酔い潰れるような醜態もみせず、宴の最後まで一度も席をはずさなかったし、客が帰ったあとに床まで連れて行かねばならないとかいうこともなく、酔いが回ったのを隠している様子もなかった。

眠るまえに、明日は少々二日酔いになっているかもしれませんと言って、面目なさそうにして浮かべた照れ笑いは、いつもの嵩利らしいものだったが、ここへ帰ってきてからの振る舞いや言動の端々に、しっかりとした芯があるのを鷲頭は確かに感じとっていた。

大尉、ともすると少佐の時まで、どこか手を差し伸べてやりたくなるような危なっかしさがあった頃が懐かしくおもえるほどだ。そういった意味での伴侶の成長は嬉しく、ひとりの男として頼もしく眩しくもみえてくる。

まったく、あの宴会の賑やかさが嘘のようだな、と鷲頭は明けたばかりの空の下で、前庭から海を眺めながら微笑を浮かべる。

―船を出すには、ちょうど良い凪ぎだ。

昨晩予想したとおりの天候であった。鷲頭はもう一度海へ目を向けながら満足げに頷く。

あたりがまだ、しんと静まり返っているのは、そよとも吹かぬ風のせいでもある。周辺には朝靄がかかっており、肌を撫でる空気はひやりとしていたが、それには今日も穏やかな春の晴天となる予感も含まれている。

鷲頭はもう床から起き出して、和服に袴をつけた姿である。昨晩の宴席で最後まで酒を酌み交わした、腰越分家の親方のような存在である千早邦宝へ頼んで、この早朝のうちに和船を一艘借りにゆく約束をしておいたのだ。

その船に嵩利を乗せて、江ノ島まで漕いでゆこうと考えていた。足音を忍ばせて庭石を踏みつつ、千早家をあとにする。なだらかな坂が続いて海へとくだってゆく道を、ゆっくりと歩いていった。


―鷲頭がひとり、そっと千早家を抜け出してから半刻。

僅かに鈍い痛みを訴える頭を枕からあげて、嵩利は漸くふとんから抜け出した。予想した通りの二日酔いであるが、おもったより軽症のようだった。居間ではもう父が寛いでいて、台所のほうでは母とチカの交わす笑声がきこえ、朝の汁物が煮立つ旨そうな匂いが漂ってきている。

「お早う、タカ。鷲頭殿なら居らんよ。随分早くに海のほうへ出ていったようだがね。ゆうべ邦宝と話し込んでおったから、港にでもいるかもしれんのう」

「そうでしたか。邦叔父さんの所へ行っているのだとしたら、間違いなく朝餉は向こうで済ませているでしょうね」

朝の挨拶、さりげない会話―。

膳が支度されて、久しぶりに父と母と嵩利の三人だけの食事の時間であることに気付き、最後にこうして過ごしたのが随分と昔だったような気がして、不意に、時の経ったあとに残る重みのようなものを嵩利は感じた。

―家族か―

確かに、あの青山のひっそりとした静か過ぎる鷲頭邸をおもうと、心が疼くことはある。以前の那智のひとこともあり、城内の、時にはあからさまな斡旋めいた“招待”にも応じてみたことは何度かあったが、今の嵩利にとって大事なのは、海軍の将来について模索することであり、まったく“嫁探し”に興味が向かないのだ。

かといってそれで、城内が匙を投げる様子はなく、また折りあらばと機会を覗っているであろうことも、嵩利は予想している。

しかし、いまこのようにして父と母の前に座っていると、嵩利は自分が海軍大佐ではなく、ただの、ひとりの息子なのであるということを強くおもう。たぶん、甘えん坊のままで我儘をいっていてもよいのだろうが、ふたりはそろそろ古希を迎えようという齢である。

―いい加減に、嫁を貰うか―

嵩利の心にその答えがすとん、とじつにすんなりと落ち着いた。

まさか、このようなおだやかな朝餉のひとときに、親になすべき孝行はひとつしかないと観念したような気持ちに至るとは、思いもしなかった。何事にも、潮時というものがあるのだなあ、と嵩利は久しぶりの母の手料理を味わいつつ、しみじみと感じ入っていた。
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| 綿津見の波の色は・161―170話 | 21:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第佰陸拾肆話

襷がけをした鷲頭の後ろ姿を、嵩利は飽かず見つめている。漕ぎ出した和船は、凪の海を滑るようにして進んでゆく。

艪を慣れた手つきで扱い、船を進ませることに黙々と専念している鷲頭の、ゆったりとした体の動きや、時折こちらを振り返る表情には寛いだ穏やかさがある。

懐かしい島影へ眼を向けて船縁に肘をつくと、凪の海面を切って進む船が作る白波の飛沫が間近で撥ねる。それは目の前で、春の陽光に透かされて水晶のような輝きをみせた。

ところどころ桜色に覆われた江ノ島が近づいてきたとき、嵩利の心を強く敲くものがあった。このちいさな島は、千早家を鎌倉時代以前から先祖代々、見守ってきてくれた綿津見の神が憩うところである。

「あの…、春美さん」

「どうした?」

片瀬の浜辺から漕ぎ出して、舟はもう島まであと半ばの距離である。鷲頭は艪から手を離すと、不意に神妙な顔つきになった嵩利を訝しげに見詰めた。何か言い出したいようだが、唇を結んで僅かに俯き、逡巡をみせている。

嵩利が腰をおろしている船の真ん中まで危な気なく近づくと、隣へ腰をおろした。

「今朝から何か考えているようだったが、そのことかね?」

「…はい、その…。そろそろ、嫁を貰いたいのです」

まだまだ、嵩利自身も若いという気持ちでいるし、実際に若々しい印象が強いが、ほんの少しつま先立ってみれば、来年には不惑を迎えようという年齢である。佐官の―それも大佐にもなって嫁をとっていないのは、海軍でも数えるほどしかいない。

年を追うごとに、昔から面倒を見てきてくれていた上官や将官が、やきもきしながらもその行く末を見守る、といった風になってきているのは、嵩利も感じていた。

それにあの時―戦艦長門起工式のあった日―、嵩利たちの“嫁探し”をはっきりと口に出した城内に対して、鷲頭が賛成の意を含んで頷くのを見ていた。ただ鷲頭は、それもこれも嵩利が軍務を大事と思ってのことなのだからと、これまで何も言わずにいただけである。

「そうか。やっとその気になったか」

鷲頭の安堵したような表情を、嵩利はまっすぐ見返せないでいる。そうは言ってはみたものの、下手をすれば今年中には日本を離れて、英国か米国へ駐在武官として赴任するかもしれない身なのだ。とても一年や二年の間に嫁を貰えるような状況ではない。

「…どうしましょう」

思わず、そんな言葉が出た。

迷子にでもなったような顔つきで、傍らの鷲頭へ指針を乞うような眼を向ける。

「こればかりは慌てても致し方あるまい。しかしな、縁はどこで繋がっているか分からんぞ。きみは今、きみが成したいと思うところを進めばよいのではないか?」

若しその機会がないまま時が過ぎるようであれば、またその時に考えればよい、と言って、鷲頭は嵩利の短い髪を戴く頭をやさしく撫でてやった。

「はい…春美さん…」

「今度は、この舟に家族を乗せて、あの島へ詣でたいものだな」

千早家から続いて鷲頭家へも、綿津見の加護が受け継がれるようになればと、嵩利も同じことを思っていた。あの家に、新たな温もりの増す日が来るだろうか、と青山の緑静かな邸を思い返しつつ、嵩利はすぐ傍の鷲頭へ身を寄せて、祈るような気持ちで島を彩る桜を見上げた。
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| 綿津見の波の色は・161―170話 | 01:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第佰陸拾伍話

のどかな春の休暇を終えた将兵を乗せて、ほんの半月ばかり館山沖での訓練をこなした榛名は、艦隊を一時離れて単艦でいそいそと横須賀軍港へ戻ってきた。嵩利はそこで、なかば放り出されるようなかっこうで、愛着をおぼえてきた艦をおりることになった。

初めて艦長を務めた艦―榛名を桟橋から振り返ってみると、つい先刻、嵩利が正しく操艦して停止させたにもかかわらず、港内の波間に僅かに揺られている榛名は、どこかツンと澄ましたようなよそよそしい横顔をこちらへ向けているようにみえた。

退艦したのは嵩利ひとりで、榛名は即日、第一艦隊と合流して駿河沖へ出発する日程であったし、半舷上陸もない寄港だったから、内火艇に乗り込むときに見送りに出てきたのは、航海の担当に就いていない士官が数名くらいだった。

それでも内火艇が艦を離れ、艦尾に翻る海軍旗と、その下にある中甲板の最後部に設えられた長官室のスタンウォークが視界におさまったとき、嵩利はそこに立つ鷲頭の姿をみた。帽をとってゆっくりと振るのにこたえ、その姿が見えなくなるまで万感のおもいをこめて答礼をおくった。

海軍省へ打診するといった嵩利の渡英は、新見が予測した通り三月も経たぬうちに実現した。一昨日の晩に、横鎮から届いたその内定を伝える電文を、鷲頭が手ずから艦長室まで届けに来て、ふたりでそのまま就寝の時刻まで語り合った。

しっかりやってこいとか、英国でどのようにして過ごすがよいとか、そういった説くような言葉を、鷲頭は一切くちに出さなかった。軍備計画に対する論文を読むことを許してから、嵩利に己の海軍軍人としての志を受け継いで貰った気でいるし、鷲頭家の家長という襷も、そろそろ手渡さなくてはならないとおもっている。

海軍の将来を見据えて歩む嵩利が、刹那でもうしろを顧みなくて良いように、鷲頭はその背を守り抜ける位置に身を置こうと心に決めていた。軍務局長、海軍次官と最も苦しい重責をおっていたとき、鷲頭の傍には常に嵩利がいてくれた。

しかし、嵩利が近い将来に将官となり、参謀長或いは再び海軍省へゆくとなったとき、鷲頭はそのとき、嵩利が常に傍へ居てくれたのと同じようにはしてやれない。だから鷲頭は鷲頭なりのやり方で、愛する伴侶を守り、支えようと考えている。

「何も心配することはない。存分に学んできなさい」

激励らしいことを言ったとすれば、このひと言だけである。


横須賀から列車に乗り込んで、嵩利は一年半ぶりに青山の鷲頭家へ帰ってきたが、いつもと様子がちがう。門をくぐると人の気配がそちこちにあった。前庭の敷石を歩いていると靴音をきいたのか、半ば開いている玄関から初老の婦人が姿をみせた。福々しい円やかな顔が、そっくり笑顔になる。城内家の家政婦、とみだった。

「まあまあ、お帰りなさいませ―坊ちゃん」

変わらぬ出迎えに、嵩利は思わず微笑をうかべた。いつもいつも、屈託なく可愛がってくれていたのが、随分懐かしく思えたからだ。渡英するまでの間、とみがまた世話をしてくれるらしい。他にも城内家から何人か訪ねてきているらしく、存外家の中が賑やかなのに驚いた。

「やあ、お帰り。鷲頭くん」

居間に入るとのんびりとした声がして、みてみれば城内であった。嵩利は一瞬、じぶんが帰った家を間違えたかと思ったほどで、城内は和服に袴をつけた姿で、自室で憩っているのと変わらぬ態度で居間の縁側に据えた安楽椅子に身をあずけて寛いでいる。

「今日帰ってくるっていうから、待っていたんだよ」

「それは、ご面倒をお掛けしました。ですが…、もう殆ど身の回りの支度だけですし、出発までひと月もありませんから―」

「きみらしくもない、水臭いこと言わないの。それに、那智くんから渡英までの間、きみのことを頼まれているんだから。放り出したら、ぼくが叱られちゃうンだからネ」

そう言われて、嵩利は上官たちの厚意に深く感謝の念を抱いた。これから出発まで殆どの時間を、海軍省や水交社、英国大使館、その他諸々の場所へ出入りして、最低限の手続きや何かに費やさねばならず、そういった煩瑣なことどもにも、きちんと配慮をしてくれているらしい。

「では…お言葉に甘えさせて頂きますので、よろしくお願いします」

「ウン、そうだよ。そう言ってくれなくちゃあ。―おっ、と。大事なことを言ってなかった。これから日本を発つまで、毎晩ぼくン家に来なさい」

「えっ」

「陸に帰ってきたきみに、いつまでも艦長室の食事を続けさせるわけにはいかないんだ。退庁したら必ず来ること。…わかったネ?」

この申し出―というよりも半ば命令に近い―は半分嬉しくはあったが、半分は困ったというのが本音だった。夜などはそれこそ、水交社で適当に食事をとったあと、あちらへ持ってゆきたい資料を纏めようかなどと思っていたのである。

嵩利の面食らった表情、次いで何か言いたげにしつつ口篭っている様子を認めて、何もかもお見通しだと言わんばかりに、城内は頷いてみせる。

「きみが勉強熱心なのは知っているヨ。発つ前に調べておきたいことがあるなら、ついでにぼくン家で済ませてしまいなさい。資料になるような書籍に困ることは、まずないからネ」

「は、はい」

城内から、じぶんの書斎にも入って構わないからとまで言われては、これはもう断れなかった。
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| 綿津見の波の色は・161―170話 | 01:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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