大日本帝國軍の愛と友情の日々

逓信省の検閲済でありますが、男色趣味満載ですので、苦手な方は華麗なターンでご退却下さい!所謂BL小説サイトです。右側に注意書きがございます。必ずご一読ください

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  綿津見の波の色は・第佰壱話

月曜日の朝を迎えたが、これほど憂鬱な目覚めはなかった。鷲頭は珍しく床のなかで物憂げに寝返りをうち、寒いと言って起きるのをぐずるこどものように、上掛けのふとんへ顔を埋めた。

ほんの僅か嵩利の匂いが鼻腔を擽って、きゅっと胸が軋む。鷲頭はまだ、嵩利が今日から赤煉瓦へ異動になっていることを知らない。今朝早く、始発に乗って横須賀で待つ香取へ帰ったと思っている。

荒々しい息をひとつ吐いたあと、井戸端で洗顔を済ませ、頗る仏頂面で軍服を着込むと、外套を纏ってさっさと自宅をあとにする。嵩利の居ない自宅などに、長居は無用と言いたげである。

いつものように庁舎の食堂で朝食をとる。スープにクロワッサン、果物という献立で、スプーンを取り上げたところで、新見がやってきた。

眼鏡の奥で眠たげな瞼をしばたたかせながら、ちょっと横を向いて掌で口許を隠しつつ欠伸をした。常に端然としている印象が強い新見にしては珍しい。目頭を指さきで揉みながら鷲頭の向かいへ腰を落ち着けた。

「おはよう、鷲頭くん。…なんですか、そんな穿った眼で見て。那智長官が、どうしても駅頭まで見送れと言って諾かないものですから、ちょっと新橋まで行って来たところですよ」

と言いながらも、ほんのりと目尻のあたりに艶めいたものが浮かんでいる。ひとのことを言えたものではないではないか、と鷲頭はむっつりとした表情で、クロワッサンを千切りながら心中で呟く。

「ああ、そうだ。秘書官の守本少佐ですがね、那智長官が副長候補として引き抜いて、香取へ連れて行きましたよ」

「何…?今がどれだけ大変な時期か、わかっている筈だのに何故そうした勝手をするのだ。いくら那智長官の頼みとはいえ、横暴が過ぎるぞ」

ぴくり、とこめかみのあたりが震えたのを認めて、新見はその怒りを宥めるように胸の前へ両掌を挙げて、鷲頭へ向けて翳した。

「きちんと後任の士官を選んでいますから、そう怒らないで下さい」

「…わかった。だが、相談もなしにというのは困る。次からは配慮してくれ」

先日の料亭の件がある手前、鷲頭も強く言えない。そのことを思い返して怒りを飲み込み、荒げかけた声を抑える。それ以上はもう互いに何も言わなかった。やがて新見の朝食も運ばれて、ふたりで穏やかな食事の時間を過ごし、それぞれの局がある階へ別れてゆく。

辞令や何かは遅れて届くことになるが、そんなことよりも肝心なのは着任する士官のほうだ。今日から軍務局へ来るのだろうが、引継ぎもしていないというのに、いきなり職務に就かせるわけにもゆくまい。

局長室へ入ってゆくと、続きの間になっている秘書官、副官執務室を覗いた。先週末まで秘書官の机のうえにある木箱に、未決済の書類が束に出来るほどあったのに、なくなっている。退く間際に片付けていったのだろうか。

まだ始業には早い時刻であるが、鷲頭は執務机の前に立って決、未決の判を用意し、決済せねばならない書類を仔細に確かめ、時には一筆加えながら選り分け始めた。

「―長、局長」

没入しすぎて、呼ばれていることに気がつかなかった。はっとして、慌てて振り向いた。脱いだ外套を左腕に掛けて、軍帽を手に携えた格好で、そこに嵩利が立っていた。

「きみが何故ここに居る」

「そういう辞令ですので。本来就いているべき職務へ戻れと、那智長官がこれを―」

「受け取ったのはいつだ」

「あの、実は…土曜日の朝です…。局長には内緒にしておけと、長官が仰られたので」

今朝、食堂のテーブルに差し向かいで座っていた新見の、何食わぬ細面を思い返し、鷲頭はまんまと引っ掛かったことに気づいた。してやったりという那智の悪戯っぽい表情が眼に浮かぶようだった。今頃、香取の長官室でほくそ笑んでいるに違いない。となれば、新見がこの件を知らない筈はないのだ。
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| 綿津見の波の色は・101―110話 | 21:40 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第佰弐話

あの春に嵩利は、軍務局長先任副官へ就くはずだった。それを鷲頭のひと押しで海へ遣ったことについて、もう悔やんでいない。ただ、自らの手で泡沫の夢と消した、在ったはずの時間がこうして突如として現れ、続きの隣室に嵩利が居るというのは、何だか妙にこそばゆい。

純粋に軍務の面から言えば、異動になった秘書官の後任がやって来ただけである。

しかも以前、ひと月とはいえ先任副官を務めているのだから、心配の種など欠片もない。贔屓目でみなくとも、逸材が配置されたのだから、いつものように黙って職務に励めばよいのである。わかっていても、やはり落ち着かぬものは落ち着かない。

長い長い間、過ぎてはやってくる嵐に揉まれて、軍務に就いていても鷲頭は赤煉瓦のなかで、心安らかでいるというわけにはいかなかった。

唯一の救いは、前任の秘書官に守本がついていてくれたことだ。磐手のころから同じ乗組であるうえ、嵩利とも親しく友情を深めている守本は、気難しい鷲頭を陰ながらよく支えてくれていた。

そのうち周囲の盟友たちにも助けられ、漸く落ち着きを取り戻して、職務は相変わらずの重さのままだが、鷲頭は嶮しい道を踏破した人のように、ここに来て漸く安堵の息をつくところまでこぎつけていた。

自然、海溝の如き眉間もやわらぐ。判をついていた手を止めて耳を傾ければ、隣室で嵩利が立ち働く音が聞こえてくる。こんなに穏やかな中で過すのは、横須賀鎮守府の参謀長であったとき以来だろうか。

「局長、書類が紛れていましたので、第二課へ差し戻しに行って参ります」

その隣室から、ひょこっと嵩利が顔を出す。颯爽としながらもどこか飄々としたものを漂わせた身ごなしを見るだけで、心が軽やかに透くようにして綻ぶ。

「何、またか…。これでもう五度目だな。差し戻しはせんでよい、提出した士官が誰かわかっている。直ぐここへ来るように伝えてきてくれ」

「柏原部長を…ですか?」

「そうだ。…慌て者で困る、よくあれで大佐に進級できたものだ」

頭痛の種だと言わんばかりの、うんざりしたような口調で言い、首を振って椅子へ腰をおろす。嵩利は、鷲頭がこの軍務局長室にいて、課長だろうが部長だろうが、お構いなしにここへ来させて、きつい説教を垂れていることを知らない。

一応、三度までは目を瞑っているのだが、鷲頭も小姑のような叱言を垂れたくて垂れているのではない。さすがに度が過ぎるとコツンとやらねば、局長として示しがつかないのである。

ふたたび黒檀の執務机へ向かって、決済の判を取り上げた鷲頭は、机を挟んだ向こう側にまだ嵩利が立っているのを認めて、じろりと睨めつける。怖い眼つきに萎縮もせず、伝令を果たしに直ぐに身を翻しもせず、嵩利は何かこみ上げるのを堪えるような表情で鷲頭をみつめ返してきた。その眼は深い慈しみを帯びている。

嵐に揉まれたのは鷲頭だけではなく、嵩利も同様である。

苦しく辛い思いをしているのを、嵩利はいつからか鷲頭の前で微塵もみせなくなっていた。思い返せば、背負って隠しているそれらの苦労を、鷲頭は面と向かって労わってやったことが一度もない。だのに嵩利は、こうして安んじて軍務に就いている鷲頭を認めて、惜し気もなく心から安堵のいろを浮かべて寄越す。

「…何をぼんやりしている、早く伝えに行って来給え」

いかに嵩利へ甘え切っているかつくづくと思い知らされ、そんな伴侶を素直に労わってやることのできない自身が情けなくなってくる。だが今は軍務中である。こもごもが絡まった心を押し込めて、厳しくぴしゃりとやった。

二人きりで暮らせる、青山の静穏な自宅があるからといっても、また褥で遮二無二鷲頭を求めて、そうして得る甘い蜜を乾しても、嵩利の心はまだ癒しきれていない筈だ。

容のよい背が、静かに閉まる扉の向こうへ消えるのを見届けて、鷲頭は天井を見上げて深く息を吐いた。
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| 綿津見の波の色は・101―110話 | 22:01 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第佰参話

二度の、それも漠然としたものではなく、肌に感じるほどの悪夢に翻弄されたことを、触れなくともよいものなら、もう触れたくないというのが心の奥底にある。だが、やはりどこかで、今こそ手を取り合って、ふたりで乗り越えねばならない壁であるというのを認めている。

それを今まで直視していなかったのは鷲頭のほうで、嵩利は確りと壁へ顔を向けて眼を背けていない。気持ちの面で言えば、鷲頭を庇うようにして立ちはだかっているのも同然で、自身を情けなくおもったのも、それを感じ取ったからである。

―午後の軍務は、各部署からあがってきた案件を処置することで追われ、定刻ちかくには、机のまえへ立ったまま書類へ判をポンポンと捺している、といった鷲頭局長の仕事ぶりに、隣室から覗いた嵩利は眼をまるくした。

「局長、捺すだけならお手伝いしましょうか」

まさか鷲頭に限って盲判で通しているわけではあるまい。そうおもって間仕切りの向こうから声を掛ける。まるで探照燈の照準を合わせるかのように、きっかりとこちらへ顔を向けつつ、手にしている判を書類へ正しくついている。捺しすぎてその姿勢さえ固まってしまっているかのようであった。

「もう終わるところだ。きみは明日の業務に差障りがないよう、執務室を整えておきなさい」

「は、はい」

もっともな指示をされ、嵩利は慌てて秘書官執務室へ引っ込む。職務は果たしているものの、片付け切れないものを空いた机へ置いたままにしてある。これはさすがにまずい。ひと目みただけで鷲頭から叱言が飛んできそうである。

積んでおいた諸々の山から、底の浅い幾つかの木箱を重箱のようにして、三つ四つ積み、あらかた整頓を済ませる。ふと、隣室から聞こえていた機械仕掛けのような判を捺す音が止んでいるのに気づく。

ちらりと時計を見上げれば、定刻を幾らか過ぎている。手が止まった途端に漂うあまりの静けさに、不意に寂しさが訪れる。もしかして鷲頭は先に退庁してしまったのではないかと考えが過ぎった。

続きの間だけに、ぽっかりと切り取られた空間があるのみで、こちらの部屋と鷲頭が居る部屋は繋がっている。といっても部屋の出入りにはきちんと別に扉があるから、局長室を横切らずともよいつくりになっている。

間仕切りはあるが衝立のようなものでしかなく、立ち上がっていれば姿は丸見えである。午後の茶を嗜むときくらい、ほんの少しでも顔を見せてくれるかとおもったが、それもなく、結局鷲頭は一度も、あちら側からこの部屋を覗くことはなかった。

みるみる陽が暮れて暗くなってゆき、そして、ひやりとした空気が漂ってゆく室内で、ひとり机の前でぼんやりとしながら、閉じた木箱の表へ手を置いたかっこうで、窓に眼を向ける。そこにうつる顔は自分でも驚くほど沈んでいた。

「どうした、帰るぞ」

ふっ、と背後へ浮かんだ影が窓硝子にうつったのにも気づかず、耳元で囁いた低い声に、ぴくりと肩を震わせた。うしろからそっと外套を着せ掛けてくる手つきと、そうして包むようにして抱きしめてくる腕と、背にあたる体のぬくもりとに、言い知れぬものを感じた。

小刻みに震えている嵩利のからだを、鷲頭は軽々と横抱きにする。局長室へそのまま連れてゆかれ、長椅子へ座らされて、その隣へ腰をおろしながら肩を抱き寄せてくる。

「前にも言った筈だ…、私の前では無理をするなと」

髪を撫でながら怒ったような口ぶりで言うが、思い直したように、すぐに頭を振る。ややあって、鷲頭はふたたび口を開いた。

「…嵩利、よく耐えてきたな。きみが英国でどんな思いをしたか、わかっている積もりだったが、私は逃げているだけだった。敢えて触れずに、そうしておけるものならと。逃げずに立ち向かって、私を守ってくれていたきみを、労わりもせずにな」

男らしく、愛する鷲頭の為に立ち回った凛々しさが眩しく、それに応えられないことが後ろめたかった。何かと理由をつけて休暇中の大半を無駄にしてしまったのは、ひとえに、このことがあったからである。嵩利に触れられなかったのも、同様だった。

「ありがとう、嵩利」

一度こうして具えた男らしさは、これからも輝き続けるに違いなかったが、それとこれとはまったく別の話である。鷲頭を心から慰められるのは嵩利しか居らず、逆もまた然り。それを怠って、一方的に甘えて寄り掛かっているのでは、伴侶に値せず、その資格などない。

「いいんです、もう…。その言葉だけでぼくは…。ね、春美さん、もっと強く抱いてください」

「ああ…勿論だ」

逞しい鷲頭の腕にぐっと抱きすくめられ、嵩利はふるふるっと身震いをしながら、ああ、と心地よく寛いだときのような安堵の声をあげた。胸のつかえと、隅々まで張り詰めていたものがみるみるうちに溶け、消えてゆく。
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| 綿津見の波の色は・101―110話 | 01:05 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第佰肆話

或る方面から密告が舞い込んできたのは、明治四十五年の一月で、英国滞在中である纐纈へ帰朝命令がくだり、司直と海軍軍法会議とがかれを裁き、纐纈を含めてかれにかかわった”名士”たちが次第に、ぽつぽつと表舞台から姿を消してゆくこととなった。

贈賄だとか、職権濫用だとか、海軍将官として其の品位を著しく貶めるは由々しき悪例也、とか、名目はそういった類のものであったが、本当のところの理由は、英国駐在先任武官の橘田秀規中佐が嵩利を経由して鷲頭へ託した書状―これも速やかに法務局へ回された―と、纐纈のかつての腹心であった山科忠之中佐の供述調書にのみ収められ、余人の目に一切触れることはなかった。

橘田中佐は、その功を陰ながら称されたが、真冬になっても日本へ帰るゆるしが降りず、病を抱えながら結局、纐纈の残していった穴を埋める羽目になってしまった。

駐在武官兼艦政本部造船顧問官として、造船士官たちの面倒を見るについて、手抜かりはなかったけれども、肺湿潤とともに肋膜もわるくし、よく熱を出した。発熱で赤い顔をしているか、軍務にくたびれ切って青い顔をしているかどちらかであった。

軍務局の局長執務室にも当然、それらの英国でのうごきや、纐纈の軍法会議についての情報が届いていた。

嵩利は人あたりのよい橘田の苦労をおもって、即座にかれへ手紙を書き送った。鷲頭も勿論同じようにして励ましの手紙を送ったが、それだけでは済まない。橘田にはこの”事件”については大きな恩があるだけに、人事局長の新見へ談判を持ちかけるなど、早期に帰朝できるよう手を尽くしていった。

軍務局長先任副官兼秘書官を不備なく三ヵ月の間つとめあげ、嵩利が海軍中佐へ進級することとなったのは三月一日であったが、その日は小雪が降っていた。雪化粧された赤煉瓦はなかなか壮麗ではあったが、どこにも春のきざしが見えぬほどの寒さには、何か嫌なものが含まれているようで、進級の通達を受け取っても余り嬉しく感じなかった。

海軍大学校へ臨時の教官として乞われ、週の一日か二日はそれで海軍省を離れたが、軍務局長先任副官の職からはとうとう降ろしてもらえなかった。鷲頭の意向なのか純粋に人事面での意向なのか、敢えて訊くことはせず、二足の草鞋を履いてよく励んだ。

春のぬくもりが待ち遠しい、などと言っているような余裕もなく、築地と青山と霞ヶ関を行きつ戻りつしている間に、気がつけばあちこちで桜の蕾が今にも綻びそうになっている。もうつめたい北東の風はぴたりと止んで、甘やかな南の風が帝都からすっかり冬の名残を拭きとって、微笑を湛えている。

その春の匂いの濃くなってきた或る日、軍務局長執務室で午後の茶を嗜みつつ、窓辺に据えなおした長椅子で鷲頭と嵩利が寛いでいるところに、ひょっこりと橘田が訪ねて来た。厳しかった冬を乗り越えてきた苦労のあとに待っていたのは、大佐への進級と、漸くゆるされた帰朝と、病気療養のための休暇だった。

「あ、いや、これは、お寛ぎのところ申し訳ない」

と腰も低く恐縮しながら、真新しい大佐の礼装姿で室内へ入ってきたのを見たとき、嵩利は長椅子から跳ねるようにして立ち上がり、即座に席を勧めた。親身になって甲斐甲斐しく橘田を気遣う様子は、微笑ましいものがあった。

英国でかれの補佐官をしていたのも、”事件”以来文のやり取りをしていたのもほんの数ヶ月の間だったが、確りと絆のようなものが出来上がっていた。

それはふたりが共に鷲頭を尊敬していることから始まっているから、志を語り合い、士官として、人としての付き合いに及ぶに至っても、必ずどこかで鷲頭へ帰結する。ふたりは互いが兄弟のような積もりで居り、要するに鷲頭を頼もしく”親父”のように見ているわけなのだ。

「まさか私の代わりに、加藤少将が着任とは思いもしませんでしたよ」

欧米視察と銘うって、鷲頭の親友である加藤は日本を発ったが、これはかなりの長旅となる。鷲頭のあと横須賀鎮守府参謀長になっていたが、裏で参謀総長や陸軍大臣と緊密なやりとりをしていた。

そのなかで、参謀総長の杉は自身をとうとう”沢庵の重し”であると認め、胆を括ったらしく、身動きのできぬじぶんの代わりに、欧州の情勢を詳しく報せてくれと、内々に加藤へ頼んだのだという。

「時局がああだったから、致し方ないが、あいつは佐官のころ、行きたいと言っても欧州へはとうとう一度も行かせて貰えなかったからな。きっと喜んでいるだろう」

どこまでも恐縮して言う橘田へ、鷲頭はくだけた口調で言って、厳しい目許を笑ませた。
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| 綿津見の波の色は・101―110話 | 11:43 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第佰伍話

海軍きっての英国通として知られることとなった橘田大佐だが、軍令部と海軍省のあいだで橘田大佐の配属について、是非欲しい、と小競り合いになったのだが、本人は郷里である伊予松山へ引っこんでいて、毎日毎日、のどかに道後温泉へ通いながら、療養にいそしんでいる。

青山の鷲頭邸には、橘田からの私信が頻繁にとどいて、鷲頭と嵩利と、橘田の親交はここにきて益々深くなっていった。

一方、鷲頭の盟友たちは、今はもう”戦時態勢”をとる必要もなく、皆それぞれの作業地や勤務地で軍務についており、中々会えぬ状況になっていた。

事あるごとに頭をつきあわせていたころを思い出すと、幾分寂しい気もしてくる。その分、文の遣り取りだけは欠かさずにいて、鷲頭家には毎日のように誰かからの書簡や葉書がとどく。

そうして、長過ぎる冬に感じた不穏な気配などすっかり忘れて、碧滴る五月にもなると、嵩利は二足の草鞋を軽く履きこなせるまでになっていた。

海軍大学校へ講義をしにゆく日などは、鷲頭はなるだけ嵩利よりも早く帰宅するようにしてい、玄関か庭先でかれを出迎えるのが常であった。

もうそれをふた月続けているが、嵩利は自宅の門扉をくぐるのにも未だに気羞ずかしくて、僅かに頬を赤らめながら”ただいま帰りました”と、鷲頭の顔を俯きがちに上目で見つめる、といった具合である。

ひとたび自宅の門をくぐってしまえば、そこはもう二人だけの居場所であり、振る舞いも、態度も、何ひとつ憚る必要はない。この環境に対してまだ羞じらいをみせる嵩利を、鷲頭は恰好の獲物とばかりに浚う。

大抵、庭先の風薫る樹のしたで腰の砕けるような抱擁と接吻に見舞われ、玄関や縁側の沓脱ぎ石のところで、嵩利がまともにじぶんで黒短靴を脱いだのは、数えるほどしかない。


陸軍でも海軍でも、軍拡だ軍縮だという意見のぶつかり合いは続いている。

何か風向きが変わるような気配があれば、また嵐が巻き起こりそうな危険を孕んでいたが、今のところは均衡を保っている。

そんな危うさの中で、この青山の静穏な自邸でふたりで一緒に過す時間というのは、言ってみれば非常に貴重であり、一秒とて無駄にしたくないという心情が働くのである。

宵も訪れぬうちから目も当てられぬような甘い時間に耽るが、ふたりとも一歩おもてへ出れば、名実ともにある優れた海軍士官として、周囲から一目も二目も置かれているというのも、全てはこういった想いから来ている。

あとひとつ、ふたりの間に変化が訪れたとすれば、鷲頭が嵩利へ甘えるようになってきたことである。以前、男の性を剥きだしにした嵩利に酔わされ、完膚なきまでに熔かされた心は、そののちは頑なに保っていた強がりで鎧うのをやめ、それでもやや羞じらいの残る態度ながら、嵩利へ身も心も預けることを十日に一度くらいはしている。

その性格上、もともと嵩利は鷲頭のように燃えるが如き積極的な性欲というものを持ち合わせていない。鷲頭に幾ら教育されても、陶酔の日々に浸っても、その傾向は変わらなかった。

だから大抵は慈母のようにやさしく鷲頭を包んで慰撫するに留まっている。結局あの挙動は”興廃を賭した一戦に挑む”ようなもので、如何にふたりきりの邸といっても、この屋根のしたで嵩利があのような振舞いをすることはなかった。

それでも慈母がことによると小悪魔にとって代わることもあったから、鷲頭はそういうとき、嵩利の艶めいた誘惑に乗り、存分に酔いしれることを躊躇わなかった。
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| 綿津見の波の色は・101―110話 | 18:13 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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