大日本帝國軍の愛と友情の日々

逓信省の検閲済でありますが、男色趣味満載ですので、苦手な方は華麗なターンでご退却下さい!所謂BL小説サイトです。右側に注意書きがございます。必ずご一読ください

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  綿津見の波の色は・第玖拾壱話

ひとりの将官が海軍とその周囲を脅かしたことについて、真相を知る者は数少なかったが、今やその企みは全て暴かれ、かれが生み出した闇はひとつの染みに過ぎず、光に祓われるようにして次第に追い詰められることとなった。

それは嵩利が第三艦隊の一員として英国を出発し、日本へ帰国するまでの間にも進行していたが、そのことについて嵩利は那智に訊くこともしなかった。

艦内での任務をこなしながら、夜に独りでゆっくりと思案する日々が続き、思考を整理することが出来、今回立たされた己の位置を顧みる。様々な人々の思惑に思いを巡らせる。そうしたあとも、嵩利の胸に何とも言えぬ蟠りがのこった。

第三艦隊は無事に横須賀へ帰港し、那智は嵩利を伴ってすぐに帝都へ向かった。軍令部を訪れ、英国での報告の為である。上陸休暇を兼ねてのことだったから、那智は余計な時間を掛けずに、滞りなく済ませてゆく。

「おっと、副官。橘田先任武官から、何か頼まれているんじゃァねぇのかい。今行ってきたらどうだィ」

海軍省を訪れ、軍務局のある階へあがると、那智は何か悪戯でも思いついたような顔で、嵩利を振り返る。香取を降りてから、副官がどこか頑なな表情でいるのに気づいていたが、面白がるように一瞥をくれただけで、訊かずに黙っていた。

「ええ、すぐに済みますから。…お待ち頂けますか」

「おゥ、構わねェよ。ゆっくりして来たらいい。じゃ、おらァ新見ンところィ、冷やかして来るかな」

しゃあしゃあと言ってのけ、軽い足取りで去ってゆく那智の粋な後ろ姿を、嵩利は暫し呆然と見送った。廊下にひとり残されて、軽い逡巡のあと、躊躇いがちに軍務局へ足を向けた。鷲頭に会うのが久しぶりだというのに、表情は暗い。

局長室の扉を敲くと、”どうぞ”と、耳に心地よい低い声がすぐに響いてくる。一度握った取っ手を離して軽く息を吐き、それまで揺れていた挙動と表情とを、取り繕う。

「失礼します。鷲頭局長、英国駐在の橘田先任武官から預かってきた封書です」

局長室に秘書官の守本は不在で、執務机についている鷲頭ひとりであったが、嵩利の姿を認めると、驚いた表情を隠さずに向けてくる。まじまじと見つめてくる視線を受け止めるも、すぐに逸らせた。

「わざわざ、届けに来たのか。いつ戻ったんだ」

「昨日の夕刻です」

「そうか」

鷲頭の態度は全く変わっていない。それが嬉しくもあり、苦しくもあり、嵩利は上品なつくりの黒檀の机へ、封書をそっと滑らせるようにして置き、慇懃に一礼をするなり、背を向ける。

「海軍大臣への報告が残っていますので、これで失礼します」

「上陸休暇はあるのか」

「ええ、五日ほど」

「そうか。…それなら、きちんと家へ帰ってきなさい」

軽く咳払いをして、珍しく言い澱む鷲頭の口ぶりは、この場におよそそぐわぬものであった。いま、この場に二人きりだからか、上官に対して背を向けたままでいる嵩利を、公務中だというのに咎めることもしない。

「はい、わかりました」

振り向きもせずに、静かに扉を閉めて出てゆく背を見つめて、鷲頭は軽くため息を漏らして、椅子の背に体を凭せ掛けた。今しがた閉じた扉へ嵩利はこつん、と額をあてて瞼を伏せる。今更ながらに、英国で纐纈の尻尾を掴めなかった事を恥じた。この身になにがあっても、一矢報いてくるべきだったと、胸が疼く。

海軍大臣への報告の為に再び那智に随って執務室を訪ねるも、殆ど上の空で、会談が終わるまで端正に侍しているのが精一杯であった。
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| 綿津見の波の色は・91―100話 | 11:09 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第玖拾弐話

所在無く、霞ヶ関の赤煉瓦をウロウロしていた嵩利は、守本をはじめ、同期や先輩の士官につかまって、英国での様子を話してきかせたり、猫の手も借りたいという多忙なかれらの心を和ませるのに、海軍省をあちこち奔走する羽目になった。

と言っても、正装を纏って参列した式典など、頻りに羨ましがられて満更でもなかったのだが。そのおかげか、どこか拭いきれない蟠りが綻び、嵩利は素直な気持ちで青山の新居へ足を向けることができた。

もうすっかり陽も落ちて、暗くなった坂道を登りながら、段々と心中に奇妙な緊張感が満ちていく。辿り着いた森閑とした佇まいの邸を目にし、門前で暫し踏み入れる足を躊躇う。

「た、ただいま…帰りました…」

玄関へ入る前に、前庭の縁側に腰をおろしている鷲頭を認めて、嵩利は気持ちの整頓もできていないまま、敷石のうえで畏まって立ち止まる。

「赤煉瓦のあちこちへ行って、ガンルーム士官のようにして騒いできたそうだな」

「は、はい…」

厳しい口調でぴしゃりと叩かれる。叱られるのを予期して、咄嗟に軍帽をとると左脇に挟むようにして持ち、項垂れた。庭に敷き詰められた玉砂利が、軋むようにして鳴るのを聞く。

「中へ入りなさい」

すぐ傍へ鷲頭が歩み寄っても、顔をあげられない。寒風に晒されて冷たくなった頬を撫でられ、耳へ囁かれた声音に驚いた。いつもなら、雷の如き叱責が降ってくるというのに。甘いような切ないようなおもいに満たされて、その胸に飛び込みたくなる衝動を堪える。

外套を脱いで、嵩利は紺の冬軍服のまま居間で再び鷲頭と対峙したが、何と言葉を紡いだらよいかわからない。そうして黙っているのは嵩利だけでなく、鷲頭も同じである。いままで交わした文のなかで嵩利は、英国での出来事について、何一つ鷲頭を責める言葉を記さなかった。

―危うい立場に居たのを紙一重でかわせたのは、全く天佑と言うほかなく、ご心配おかけ致しました―

などという殊勝な一文のみで、あとは変わりなく、英国での生活について描かれていた。心配をかけさせまいとしているのが、手に取るようにしてわかる文だけに、鷲頭も敢えてその件には触れずにいた。帰国してから、労わるなり、配慮のなさを詫びるなり、するつもりでいた。

「春美さん、ひとつ諾いていただきたいことが、あるのですが」

ひとつ、息をついてから嵩利は口をひらいた。

「うむ…、遠慮なく言いなさい」

「ぼくを庇護してくださるお気持ちも、配慮も大変嬉しく、ありがたく思ってきましたが、…もう、今後は止めていただきたいのです。あなたに護られて、軍務に打ち込めたことは大きな実になっていますが、ずっとこのままでは、いけないのです」

端整な貌は、厳しさを含めて引き締まり、少年めいた面影は微塵もなかった。鷲頭は伴侶の精悍な表情と、きっぱりとした口調とに、内心でひどく気圧されていた。

確かに、公私共に嵩利を案じて良かれと思ってしてきたことだが、今回の一件で痛感した。もう、護られているばかりではない、一人前の男として、海軍士官として、鷲頭の隣に立ちたいという、その意志がひしひしと感じられた。

「そうだな…、私が過保護に、きみを箱に押し込めすぎていたのだな」

海軍少佐として、申し分のない働きをみせているのは、他の誰でもない、鷲頭がよく知っている。もう、そういった保護の手は要らないのではないか。

「そんな表情をしないでください、ぼくはただ…今回のことで、改めて強くそう思っただけですから…。春美さんは、ずっとぼくのことを案じていてくださっている、そのことはこれからも変わりません。そうでしょう」

「ああ、無論だ」

「…良かった、どうやって打ち明けようか、ずっと悩んでいたんです」

ほっと、安堵の表情を浮かべると、もう先刻までの鋭さはなくなっている。容のよい唇を半弧に描かせて、端座していた姿勢を崩す。胡坐をかいて、遠慮のない寛いだ格好になると、途端に室内をきょろきょろと見回し始めた。

「ここが…その、春美さんと、ぼくの家なんですか?」

そわそわと、落ち着かなさそうに膝を擦りながら言う。その様子に鷲頭の口許にも、自然と笑みが浮かんだ。座を立って、廊下へ続く襖へ歩み寄ると、嵩利を手招いた。

「きみにとって降って湧いたような話だったな。これからはふたりきり、水入らずで過ごせる。ひとつ…案内しようか」

「はい、お願いします」

眸を輝かせて、笑みを向けてくる。長い艦隊勤務をこなしたばかりとは到底おもえぬ身ごなしで、嵩利は軽やかに鷲頭の傍へやってきた。相変わらず陽に灼けて、手指まで褐色をしている。間近に来るまで待ちきれずに手を伸ばすと、しなやかな掌を掴み取って強く握りしめた。
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| 綿津見の波の色は・91―100話 | 20:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第玖拾参話

家の中を一通り案内しているうちに、鷲頭の胸中に様々な想いが浮かび上がってきた。嵩利と離れていた七ヶ月間、実に目まぐるしかった。

山科の告白から、やにわに周囲へ黒雲が広がって、その後と言えばまるで夏の夕立の訪れそのものであった。軍務局長の責務を果たしながら、遥か遠くの英国に滞在する嵩利の身を案じながら、そして、纐纈のばら蒔いた悪意の芽を摘み取る日々が続いた―。

長い長い半年を経て、晴れ渡った虹が望める程の穏やかさを勝ち取った。言うなれば今度こそ安んじて過ごせるというのに、鷲頭は、ふたりきりでいる時間に浸り切れていない。水も漏らさぬ態勢で嵩利を守れている、と過信していたことが、未だ胸を鈍く疼かせている。

ひとつ間違っていたら、嵩利の身にどんなことが起きたか、考えるだに恐ろしく、悪寒がはしる。鷲頭はしっかりと繋いでいた手を改めて握り直したが、嵩利へ顔を向けようとはしなかった。

嵩利が英国でどのような日々を過ごしてきたのか、先刻対峙したときの毅然とした態度が雄弁に物語っているような気がした。少し見ない間に、軍人としても男としても成長している嵩利が、ひどくまぶしい。

ふたりで住むには、充分過ぎる広さと部屋の数だった。もっとも来客の多いだけに、それを含めれば丁度良いのだが。鷲頭の自室は静かな奥まった場所にあり、嵩利の部屋はそこから、こぢんまりとした中庭を囲む回廊を挟んだ向かいに設えてあった。

「今日はもう遅い。ゆっくり休みなさい」

横須賀の隠れ家から引き揚げてきた私物や、予備の軍服が逐一丁寧に仕舞いこまれていて、滞在するのに不自由はなかった。襖を引き開けて、嵩利が自室を覗き込むのをしおに、繋いでいる手をそっと解く。ここまできて、抱擁のひとつも交わしていない。

「春美…さん…?」

「少し、軍務が残っているのでな、明日にでもゆっくり話そう。…お休み」

何ともいえぬ、ほろ苦い笑みを浮かべた鷲頭を、嵩利は怪訝な表情を隠さずに見つめた。口を開く前に、くしゃくしゃと乱雑に髪を撫でられ、遮られてしまう。一種差し挟めぬ空気が流れたのを感じて、切なさが過ぎる。歩み去る広い背を眼で追いながら、詮無さにため息を吐いて、部屋へ入ると後ろ手に襖を閉めた。既に床が延べられている。

「はぁ…。ケーアイのひとつくらい、したかったナァ」

甘く、こもった吐息混じりに言って、指さきで唇に触れた。

英国滞在中に届いた文の、一節一節が鮮やかに浮かび上がる。敵前に居たというのに、鷲頭の揺るぎない強さと優しさに包まれている安堵感に満たされていたから、何も恐れることはなかった。英国という遠きにあるからこそか、あれほどまで鷲頭を想ったことは今までになく、帰国する時が待ち遠しくて堪らなかった。

「明日、か」

軍服を着たまま、陽の匂いのする暖かな寝床へ横臥しつつ、呟く。胸がちいさく鼓動しているのを、じっと瞼を閉じて聴く。じわじわと熱いものが体に満ちてゆくのを、浅ましいとも、はしたないとも思ったが、おさまる気配はない。

夜という時間は全く厄介なもので、こうなると何かせずには落ち着けない。嵩利も健全な男子であるから、焦がれるようなおもいと欲動を放ったままにされては、到底ねむりになど就けるものではない。

寝具のうえで、ごろりと寝返りをうったあと、起き上がるなり部屋の隅にある行李を開けにいった。そこには、一からやりとりをし続けた鷲頭の文がおさめられているのだ。

嵩利が蕩けるように甘えたがっているとは露知らず、鷲頭は自室へこもって、事実やり残していた軍務の仕上げに掛かっていた。それほどの時間を要する内容ではなく、すぐに片付いてしまう。文机へ肘杖をついて、嵩利の澄んだ笑顔を思い浮かべる。

あの笑顔に裏心などないのは、確かめるまでもない。ただ、鷲頭の胸中に刺さる自己への嫌悪がいつまでも疼き、故にまっすぐに嵩利を見つめられないだけなのだ。伴侶へ触れるについて、幾日か自粛せねば気が休まらぬほど、心は揺れている。

全ての事象に助けられ、何事もなかったことは紛れもない幸運だったが、今回の件は薄氷を渡ったも同然、まさに板子一枚下は地獄であったのだ。
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| 綿津見の波の色は・91―100話 | 21:57 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第玖拾肆話

秋も深まり、朝靄に含む緑の匂いが幾分褪せた気がする。曙の頃に漂うその香を吸い込むと、眠気が吹き飛ぶようだった。高い青空を見上げつつ、井戸端で洗顔その他の、朝の日課を済ませて、部屋へ戻る。

朝食などは海軍省で厄介になっているため、早々に軍服を纏い、登庁の支度を済ませる。それから居間で新聞を読んでいたが、登庁間際に、かなり躊躇ったつま先を嵩利の部屋へ向けた。

足音を忍ばせて廊下を歩み、そっと襖を引き開ける。

なかを覗くと、枕元に置かれている小振りのランプが、点いたままになっているのが先ず眼にとまる。その光の輪の中には鷲頭が文を認めた和紙や便箋が、あらかた広げられたままになっていた。

横臥した寝姿を見れば、ふとんから覗いた指先に触れている紙片があり、それには見覚えのある裏書が記してある。嵩利から英国滞在中に催促され、散々渋った挙げ句に送った鷲頭の写真であった。

昨晩、あれから一度もこの部屋を訪れなかった。寂しさを抱いたまま眠ったのだろう。心なしか、寝顔にもその名残が浮いているように見える。

いじらしい伴侶の姿に、心が甘く震えないかと言えば、嘘になる。しかし、それにも増して心中が益々、重く塞がれるのもまた事実であった。

万事無事に済んだのだから、いつまでも気に病む必要はないのである。と、頭で理解していても、心持ちだけはどうにもならず、秋にふさわしい爽やかな晴れの日だというのに、海溝ほどの皺を眉間に刻んだ、厳冬さながらの渋面で、鷲頭は青山の新居を後にした。


「おゥ、お早うさん。随分と湿気た面ァしてるじゃねェか。何だィ、親子喧嘩でもしたかィ」

赤煉瓦の食堂へゆくと、人気のない一角に、まるで我が家のようにして寛いでいる那智がいた。上陸休暇の筈だが、何故かこの早朝に居る。鷲頭はむしろそのことよりも、ずけずけと言ってのけた言葉に反応を示し、重々しくため息を吐いた。

「喧嘩なぞはしちょりません。いつまでも意気地のない…私がいけんのです」

「軍務に、私情を持ち込まねェ。そいつを枉げた結果が、ああだったことかィ」

これまで一切を相談に乗ってもらっているだけに、何もかも察している那智に対して、沈痛な面持ちで頷いて見せた。

いっそ嵩利に、恨み言の一つでもぶつけられていれば、と思った。それでどうなるものでもないのだが、慢心して高を括っていた自身のせいで、嵩利を危険な場所へ立たせたことが、どうしても許せないでいる。

「なるほどなァ。そンじゃ、気が済むまで手前ェ自身を責めりゃァいいさ。その間に、あいつァまた、海へ戻っちまうだろうがな。今度、いつ帰ってくるか分からねェ軍艦稼業にな」

煮え切らない鷲頭へ、那智は意地の悪い言葉をかける。この生真面目な男には、これくらい言ってやらねば、効き目がないからだ。なかば面白がるように笑ませた口許を、珈琲の注がれたカップを取り上げて隠す。

「睦まじくしねェで寂しい思いをさせてみろ。あんな別嬪がフラフラッとしたら、城内の馬鹿あたりがしれッと手ェ出すに決まってらァ。かく言うおいらも、ホンのぽっちり慰めるくらい、しちまうかもしれねェな」

「そ、それは…」

「あーァ、まったくよゥ。三角定規は引いた線より外に出たことがねェと来たもンだ。おい、鷲頭。いくらおいらでも、そこまで面倒は見ねェぞ。手前ェでなんとかしろィ」

明らかに狼狽をみせる鷲頭は、齢に似合わず、外見に似合わず、初心な青年そのものであった。口では突き放したことを言っているが、那智はそんな鷲頭を、決して見放したりしない。このままふたりを放っておけば、どこかで城内が何食わぬ顔でひょっこり間に入って、つるりと悪さを働くだろうというのは目に見えている。

信念を枉げたことは、確かにしこりが残るだろう。だが過ぎてしまったいま、それも良い方向へ決着しているのだから、もう構えるほどの矜持ではない筈だ。

それよりも今後をどうするか、前向きに考えて歩みをそちらへ進めるべきである。折角構えた新居も、嵩利への愛情も、宙吊りになったままというのは、情けないにも程がある。

「あいつァ、お前ェさんに守られていることを、ひしひしと肌で感じていたぜ。英国に居る間、お前ェさんが呉れた時間を一分たりとも無駄にできねェ、そう言って敵前だろうが何だろうが、臆する素振りを見せなかった」

まったく、見違えるほど男らしくなったもンだ。と、ぽつりと零した那智の言葉に、突如として熱い想いが鷲頭の胸に込み上げた。それまで抱いていたものが全て打ち砕かれていった。嵩利と向き合えぬ本当の理由、それは自身の矜持でも、後悔でも、嫌悪でもなかった。

昨晩みせた、厳しさと精悍さを具えた嵩利の表情を思い返し、胸がざわついた。
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| 綿津見の波の色は・91―100話 | 22:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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  綿津見の波の色は・第玖拾伍話

長く尾を引くような鳥の声が届いて、嵩利はふっと瞼をひらいた。

啼き声が物悲しく聞こえるのは、ゆうべから引き摺っている自身の気持ちを映している所為もあるのだろう。温いふとんから、ゆっくりと体を引っぱり出して、着崩れた寝衣のまま、廊下へ出る。見慣れぬ場所に、居慣れぬ雰囲気だが、しんとして、穏やかな空気で満たされている鷲頭邸は、紛れもなく嵩利の家である。

昨夜は、家に辿り着くまで鷲頭と何をどう話をしたものかと、散々悩んでいたというのに、部屋で対峙した途端、不思議と気持ちが落ち着いたのだ。いま思い返してみても、偉そうなことを言ってしまったとは少しも思わない。

英国に居たときに、起きたかもしれない最悪の”もしかしたら”を考えてみれば、嵩利はそういった面で、確かにもう自立せねばならない時期に達しているのだと、強く思っている。それに、もう二度と、鷲頭に信念を枉げるようなことをさせたくない。

手拭を肩に引っ掛けて、井戸端へ出てゆき、心地よい冷たさの水を釣瓶から掬って顔を洗った。昨晩は寝付けずに、何度も鷲頭の手紙を読み返していた。規則正しい寝起きをしているというのに、眠りに就いたのは珍しく明け方だった。陽の翳りからしていまはもう、午後を回っているだろう。

ぼんやりと空を見上げつつ、一歩二歩あるいたところで、裾が脚に絡まるように引っかかった。だらしのない格好で居るのに今更気づき、ここに誰も居ないというのに、嵩利は慌てて自室へ引っ込んだ。すこし大胆な縞のはいった袷を着流しにして、寝具と寝衣とを片付け、行李へきちんと手紙と写真を収める。

中庭の居心地のよさに、また出て行って陽に当たろうかと廊下へ出ると、電話の鳴る音が聞こえてきた。確か、この回廊のさきに備え付けてある。五度鳴らぬうちに受話器をとりあげた。

「はい、鷲頭でございます」

ほんのひと息置いてから言うと、電話の主は藤原であった。午前中にも電話を寄越してくれたらしく、すっかり寝入っていて気がつかなかったことを詫びる。

「いいんだ。陸にあがった日ほど、ぐっすり眠れる夜はないと言うじゃないか」

長い艦隊勤務を労わるような言葉だったが、嵩利にとってゆうべは全くその逆で、眠れるどころではなかった。顔の見えないことをいいことに、受話器を持ったまま、苦笑を浮かべる。藤原は、これから雇いのボーイと家政婦が鷲頭邸へ向かう、ということをしらせてくれた。わざわざ、嵩利が起きるのを待っていてくれたらしい。

かれらは普段は藤原邸へ仕えていて、二日に一度は、ここへ来て細々と家の一切の面倒を見てくれているそうだ。嵩利の生家にも、チカという家族さながらの住み込みの家政婦がいる。微かに擽ったいものがこみあげて、居間へ行ってかれらを迎え、丁寧に挨拶を交わす。

今日の鷲頭の予定など、大まかにきいているらしく、家政婦は一通りの家事を済ませると、陸へあがったばかりの海軍少佐のことを気遣ってか、採れたばかりだという野菜のなかから、南瓜や里芋で味噌汁を拵えてくれた。朝、昼と食べていなかったのもあって、それはとても美味しかった。

気がつけば、もう夕刻近くになっている。

ボーイと家政婦は、何やら台所で夕食の支度をしてくれている。嵩利は居間で、お八つ代わりに味噌汁をもう一杯だけ食べ、縁側へ陣取ると、部屋から持ち出してきた書籍を、膝のうえで開いて読み始めた。

とても今日が初対面とは思えぬ嵩利の態度に、訪ねて来たボーイも家政婦も、和やかな笑顔を浮かべている。やがて辞してゆくかれらを玄関まで見送って、また居間へ戻る。英国海軍の歴史などが記されている書籍を読んでいるのだが、脳裏に、鷲頭が昨年仕上げた、軍備に関する論文がちらついてきた。

あの時は、深く関わるべからず、といった鷲頭の無言の意を察して、あまりよく目を通さなかったのだが、もう一度、じっくり読むべきだろう。嵩利には嵩利の、分を弁えた上での、立つ位置というものがある。これから全力で鷲頭の支えとなるには、その位置の近きと遠きとに関係なく、深く知っておくことが肝要だ。

今すぐでなくとも、頼めばきっと、近いうちに読ませてくれるに違いない。今夜は鷲頭とゆっくり話ができるのだ。それを思うと、早く帰宅しないかと時計の針ばかりが気になってくる。昼間はすっかりどこかに置いてきていた、甘いような切ないような気持ちが、再び心を満たしてゆく。
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| 綿津見の波の色は・91―100話 | 00:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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