大日本帝國軍の愛と友情の日々

逓信省の検閲済でありますが、男色趣味満載ですので、苦手な方は華麗なターンでご退却下さい!所謂BL小説サイトです。右側に注意書きがございます。必ずご一読ください

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


web拍手 by FC2

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

  綿津見の波の色は・第佰捌拾壱話

長官公邸の住まいは専ら和式で非常に落ち着く。鷲頭は帰宅してからも細々とした公務を洋館の“長官公室”で執っており、鎮守府を退いてきていても来客や公務が舞い込んで、殆ど区切りのない状況になることも多く、なかなか和室で寛ぐ時間がとれない。

忙しない様子の鷲頭をただ眺めるしかない嵩利は、工廠から入船山へ帰宅すると和室からは出ずに、与えられた居室で寛いでいるか、庭の見える縁側で手入れの行き届いた庭園を眺めている。

「きみには鎮守府長官の職務を補佐せよという辞令が出ているわけではない。よって、帰宅しても副官秘書官の如き振る舞いの要なし」

と唐突に告げられたのが公邸へ居をうつして三日後で、鷲頭は他に何か言いたげな色を眼に浮かべている。そのあと僅かにもどかしそうに眉を顰めて逡巡をみせたものの何も言葉には出さず、そそくさと廊下を渡って洋館へ篭ってしまった。

その通達には、廊下から向こうに足を運ぶことをも禁じる旨が含まれていると察したから、和洋の趣きが結集していると評判の美術館のような執務室や応接間をまだ一度も目にしていない。

―ここでぼくを預かるというのが、機密漏洩を予防するという一点で工廠長と意見が一致した、という事実があるから、だろうな。

訴えかける眼の意味を何となくそのように解釈して、嵩利は漸く軍装を解いて和服に袖を通した。この呉では長門が竣工するそのときまでふたりは一切の接点がないとハナから諦めていたものだが、嵩利の軽挙がもとでこのような状況になっている。

経緯を考えたら手放しで喜べないのだが、こうしていると甘さが心の隅を擽り、嬉しいとおもってしまう。鷲頭から長官としての叱責を受けたのだから、もう今はこの感覚に浸っても許される…と思いたいのだが、そうはならない。

「やっぱり春美さんの立場からしたら、ぼくがここに居るのは頗る迷惑なんだろうな…」

心底から反省をみせてしおらしくしていた嵩利を慰めてくれた甘い気配は、あの時以来鷲頭から漂う様子はない。縁側の端っこで、残照に浮かぶ苔石をみつめながら浮かぬ顔をしてため息をつく。

***

障子のむこうで佇む嵩利をつかまえて通達したとき、想像していたとおりの神妙な表情を向けられて、いっそ胸中に湧くものを全てぶつけてしまいたいという衝動に駆られた。

駆られたが、そうしなかった。軍務や来客の予定がそれを許さない。この公邸が鎮守府と地続きになっていて、公務がするりと滑り込んでくることに、今の鷲頭はある意味で助けられている。

日に日に、あらゆる事項から身を退く“潮時”について思考を傾けることが増えているが、愛でてきた恋人に対する執着心は膨れ上がる一方で、これからの生き方について思索するとき、嵩利だけは手放したくないと心で叫ぶ始末だ。

“息子”が妻を娶り、継ぐべく家のあるじとなるのに、いつまでもその“父”が未練がましく残る日にしがみついている―

鷲頭が心にきめている不文律として、“その日”が来たならばきっぱりと退くというものがあるのに、だ。かれに対する欲望にとっぷりと浸かったまま一向に抜け出せないことを認めたくないが、認めざるを得ない。

そんな葛藤もあって、今回の呉赴任についてまたとない良い機会が訪れたのだと素直に受け入れていた。

もっとも、軍務に則した状況なのだから不満など持ちようもなかったし、海軍の新時代幕開けの一端を担う責任の重さと、いくばくかの高揚感も相まって、嵩利と過ごす時間などは些細なことがらに収まっていた。

三つ子の魂百まで、という。あの天真爛漫な気性が、いくら初代長門艦長候補になったからといって引っ込む筈がないのは百も承知で、日本一の工廠がある呉に立って落ち着いて過ごせる筈がないのも、工廠長を筆頭とする造船科士官たちを多少は振り回すことになるのも、鷲頭は全て見通している。

赴任した際に落合工廠長が挨拶に参上したときに、真っ先に嵩利の振る舞いについて言及したのも、なるべく誤解を受けぬようにとの配慮に過ぎなかったし、今の嵩利ならば、立場も弁えずに勝手気侭に振舞うなどという真似はしない、ということもわかっていた。

だから落合が嵩利を預かってくれと言ったとき鷲頭は、“既にあれが反省しているのならば無用である。二度とせぬと私が請合うから、信じて使ってやって欲しい”と答えるつもりだった。そう言うことは然り、と思っていた。

それなのに、長門の機密性といった当然の事情を口実にして、かれを手許に置くことを選んだ。隠し切れぬ己の欲望が、じわりと滲み出しての“承諾”だったことなど、落合は知る由もない。

叱責は無用だと落合に言われたとき、渋々頷いてはみせたが、もとよりそのつもりなどなかった。余りの多忙さにそのまま身柄預かりの件が棚上げになったままひと月以上過ぎても口喧しく催促しなかったのは、あのあと自己嫌悪に陥っていたからである。

―状況がそれを許したのだ。ならばこのまま利用してしまえば良い。

嫌悪から抜け出してそう結論付けたあとの鷲頭は、欲望のままに動いた。落合へ再度、嵩利の鎮守府出頭の催促をしたあと、かれの起居する宿舎についても口を挟み、“退路”を絶つという暴挙に出ている。

何も知らぬ嵩利が叱責をうけたときにみせた健気な態度に心を動かされたが、それは欲望を絡めたもので、叱ったすぐそのあとに嵩利を求めようとしたのが、その証拠だ。鷲頭が与えた濃厚な口づけを拒まなかったことから、嵩利にも二人きりの時間を得たいという思いがあったのだとわかり、鷲頭の計画は成功におわった。

―それでも、ぼくはいま春美さんに抱かれたい。

あのときの懇願を拒絶したのは、焦らしたかったからではない。踏み止まらねばならぬ公務が控えていたから、ただそれだけの理由だった。そうでなければ、寝所までゆかずにあの場で即座に組み敷いて、時がゆるすまで嵩利を求めただろう。

鷲頭の葛藤や渦巻く欲望を知ることなく、嵩利は奥の和室でなかば、謹慎でもしているような心持ちで時を過ごしている。次の休日に心中の思いを告げたなら、どんな反応をみせるだろうか。
→【32話】 →目次へ戻る

web拍手 by FC2
スポンサーサイト

| 綿津見の波の色は・最新話 | 13:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

  綿津見の波の色は・第佰捌拾弐話

響いた半ドンに、嵩利はハッと顔をあげて即座に万年筆に蓋をする。側に控えている副官がそれを受けて、設計図を端から綺麗にクルクルと巻いてゆき、幕僚たちが各自記した考案を書類綴りへ回収してゆく。

ものの数分後には、工廠事務所の二階は殆ど人影がなくなっている。差し迫った状況でもない限り、いつまでも執務机にしがみついていることはない。“仕事は仕事で遊ぶときは思い切って遊べ”“用がないのに忙しい顔をすべからず”という気風が海軍にはあるので別に驚くにはあたらない。

土曜日はきまって昼になるとドックに立ち寄って、行きがけの駄賃とばかりにコッソリ機材の影から長門を眺めて帰ってゆくのだが、今日はそれをせずに工廠を出る。

せっかくの休日に公邸で過ごすのは気がすすまぬと、どこからかの伝手を頼んで小さな温泉宿を手配し、迎えの車を遣るからそこへ直接訪ねてゆくようにと鷲頭から今朝いきなり告げられたからだ。

路の端の瓦斯灯に寄せるようにして停まっているルノー車と、傍に佇む初老の紳士を認め、何かその様子が倫敦の官庁街で見た風景のようで、嵩利はふと懐かしくなった。まっすぐそこへ歩いてゆくと、紳士は丁寧に会釈を寄越してくる。身につけた洋装がしっくりと馴染んで、上品な着こなしがひと目でわかる。

此方も会釈を返すと、紳士は瀧本と名乗ってから二度目の会釈をし、相好を崩して親しげに声を掛けてきた。

「鷲頭嵩利様ですな?御前より承っております。ささ、どうぞお乗りください」

ルノーは馬車の名残を漂わせるつくりで、客車の扉を開く老紳士の所作はやはり絵になる、とおもった。その背を見つめて嵩利はふと、くびを傾げた。

「…御前…とは、どなたのことです?」

一瞬、脳裏に城内の顔が浮かんで、思わず訊いた。

「何を仰います。お父上ではございませんか」

「鷲頭の…、ですか?」

「他にどなたがおいでと仰るので?」

「あの…」

「そのように狐につままれたようなお顔をなさらないでくださいまし。わたくしどもは鷲頭御前より厚恩を与る身でございまして、以来そのようにこちらが勝手にお呼びしているのです」

「そうでしたか、父からは何も訊いておりませんもので。とんだ不調法を致しました」

「お気になさらずとも宜しいのですよ。もともと御前はそれ程お話になられる気質ではございますまい」

軍帽を手にしつつ謝意を述べると、瀧本は微笑を浮かべつつ開いた扉の脇に控えている。その丁重な物腰に温かいもてなしの気持ちが篭っており、これからどんなところへ向かうのだろうと想像をし、目を輝かせた。

ルノーに乗り込み、緩やかな山道を進んで、半刻ほど。

山の麓にこんもりとした森があり、更に近づくと明るい灰色の石造りに黒いスレートの屋根を頂いた小さな洋館がチラリとその中にみえた。

「御前はご公務で少々お越しが遅れるとのこと、承っております。嵩利様には暫く、お好きな場所でお寛ぎくださいまし」

温泉宿、というには余りにも想像とかけ離れている。仮に宿だとしても、どのような経緯でここにこのような洋館が建ったのだろうか…。

「―よろしければ、この爺が昔話でも致しましょうかな?」

相当悩ましい顔をして洋館を見上げていたのだろう。瀧本老人は嵩利を促すと一緒に洋館へ入り、寛げる空間の広がる居間に案内してくれた。用意してあった茶菓を共に楽しみながら、鷲頭が語ったことのない“経緯”について、ぽつぽつと語り始める。


ことのはじめは明治三十一年。

瀧本老人の五男である瀧本忠久は、藤原家の青少年下宿舎に身を置いていた。将来、帝国ホテルに料理人として勤めることが夢だった忠久は、その展望について思い悩んでいた。

宿舎の同じ年頃の若者たちは、帝大へ入って官吏になるとか、あるじの藤原に憧れて海兵の門を敲くとか、そういった目標を持つ者ばかりで、忠久は肩身が狭くなり、日に日に思いつめて暗い表情をみせるようになっていった。

鷲頭は少尉のころ藤原家に厄介になっていて、その縁あって度々上陸の際に訪ねてきていた。離れにある宿舎にもよく足を運んで、若者たちに遠洋航海に出たときの話などをきかせていた。

忠久のただならぬ表情に気づいた鷲頭は、そっと庭へ連れ出してその悩みを聴いた。ちょうど鷲頭は中佐に進級したばかりで、欧州へ駐在武官として赴任することになっていた。

“よし、それならきみを一緒に仏蘭西へ連れて行こう”

あくまでも、鷲頭の友人として。

下宿する身で藤原には頼れまい、と判断して鷲頭はすぐに行動に出た。その当時は天涯孤独の身であったから、蓄財はかなりあった。そして、忠久の為に私費を投じても構わぬと思ったのは、海軍の将来の一端がかれに見てとれたからだ。―直感、といってもいい。

―瀧本忠久の名を知らぬ者は、おそらくいまの海軍にはいない。国賓や外国高官は言うに及ばず、各界の名士たちの舌を唸らせる腕前を持ち、糧食担当主計科士官を、“一流の料理が作れる海軍士官”に育てる、名料理人なのだから。

わかりやすく言えば、いま艦隊勤務でそれなりに旨いめしが食えているのは、ひとえに瀧本忠久という、帝国ホテルの現料理長のお蔭なのである。

あの当時、私費で賄った留学費を忠久がのちに働きながら返却すると言っても、鷲頭は頑として諾かなかったし、後年になって事情がわかり、海軍省から還付すると言ってきても受け取らずに突き返し、今に至っている。

忠久がふと故郷の呉へ帰ったとき、父の掘り当てた温泉を活かすことを考え、新築した洋館へ引き入れ、温泉宿として開業したのが大正に入ってすぐだった。

知る人ぞ知る、海軍御用達の隠れた保養地と銘打っているらしいが、実際のところ利用しに来る士官は殆どいない。

「謂わばここは―、忠久が御前の為に建てたようなものです。勿論、御前には申し上げておりません。…内緒ですぞ」

と、瀧本老人が言ったので、嵩利は仰天した。

「御前が仰るには、現在こうなったのはただの偶然だ、と。すべて忠久が努力した結果で、私は何もしていない、と…」

瀧本老人の声が震えて詰まり、暫しの静寂がふたりを包む。嵩利には、そう言った鷲頭の気持ちが痛いほどわかる。あのひとは、そういう人だから。

「しかし、知ってか知らずか、父はここへご厄介になりに来ようとしているではありませんか。…瀧本さんの気持ちはとっくに存じていて、受け取っていますよ」

多くを語らず、背負えるものはすべて、黙って負ってゆこうとする―。傍に居るようになってからの、鷲頭の歩んできたこれまでを思い返しながら、唐突にひとつの答えが閃光のようにはしった。

―まさか、な…。

不安が脳裏を掠めて、消える。
→【33話】 →目次へ戻る

web拍手 by FC2

| 綿津見の波の色は・最新話 | 21:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

  綿津見の波の色は・第佰捌拾参話

外に広がる緑なす樹々の葉が陽を遮って、地におとす葉影が濃くなった。嵩利はそこで歩みをとめて、影の間から覗く空をみあげた。雲ひとつない青色が、椎や樫などの枝葉の向こうにある。湿り気を帯びた緑のにおいが、冬の冷涼な空気と相まって清々しく、ひとつ深呼吸をしてみる。

思ったよりも寒さはなく、念のためにと持ち出した綿入りの羽織を携えたままで、ぶらぶらとあてもなく森の中を散策している。そうしながら只管、頭の中を整頓してゆくことに努力をかたむけている。

先に運び入れて貰っていたトランクには、着慣れた和装と洋装の着替え一式しか入れてこなかった。いつもなら、そこに何がしかの書籍の一冊や二冊は忍ばせるのだが、すべて置いてきた。

“叱責”を受けた日からこれまで、鷲頭は公邸で居室に戻っても殆ど“鎮守府長官”としての顔をして嵩利に触れることもせず、同衾はおろか床を並べてねむることすらしなかった。

嵩利が少佐くらいの若さならば、鷲頭の挙動にただ甘い思惑を感じつつ、休日を待ち遠しく思っていただろう。ただ無邪気にその空間とかれの威儀を正した横顔を眺めて、微笑ましく思っていただろう。

―何か違う。

こうして久しぶりに唐突に訪れた時と場に立ってみて、漠然とだが先ずそうおもった。

―何が違うんだ?

以前ならどんなに多忙であっても、隙を縫ってふたりで過ごせる場と時を必ず得ていたのに、嵩利が大佐―艦長に就いてからはそれが一度もなかった。共に上陸する機会があっても、料亭などへ足を運び、“艦長”“長官”として振舞うだけに留まっていた。

孤独な艦長職に就いて、ただでさえ殆ど顔を合わさなくなっている現状があるのに、と雲隠れ出来そうな機会をみつけるたびに、恨めしくおもっていた。

日に日に募っていった恨めしさも、長門や英国への展望が掻き消してくれた。艦長公室に引き篭もっているうちに、鷲頭の素っ気無さはきっと、それらに没頭せよという意味なのだと、そう納得するに至った。軍務に託けて、紛らわせた。

―碌に口も利いていないのに、ぼくがやりたいと思っていることは、何でもお見通しで…。

英国へ行きたいと考え始めた頃から、鷲頭はそれを察していた。あとになって訊いてみれば、ほんとうにその漠然とした思いを浮かべた頃から、気づいていた。

これまで己が歩んだ海軍軍人としての道を振り返れば、たぶん、嵩利がいまその時点で何を思い、何を成したいとおもっているのかなど、鷲頭には誰に訊かずともわかるのだろう。

伴侶であり、上官である。それについて敢えて分けて考えたことはない。かれは軍務に関して私情に溺れて甘い顔をすることはないし、その逆も然り。それを知っているから。そして、どのようなかたちであれ、鷲頭はずっと嵩利の傍に居てくれる。そう信じているから。

その筈の鷲頭の、態と突き放す態度に以前のような甘い予感がないと感じたのは、嵩利が現在背負う軍務の重さからくる余裕の無さ故か。鷲頭との時間が遠ざかるのも、最早仕方の無いことなのだと諦める気持ちが生まれるのも、己の余裕の無さ故か?

―あのとき、形振り構わずに抱いて欲しかったのに。何故そうしなかった?

甘えん坊の利かん気を発揮するか、さもなくば鷲頭を強引に引き摺り込むか―。その気になれば二人きりのこと、どうとでもできた筈だったのに。子どもじみた振る舞いを慎むことは、公の場だけでよいのに。

そうしなかったのは、鷲頭の物言う眼と、眉間に刻まれた皺に、何かが隠れていたからだ。嵩利が見たくない、聞きたくない、何かが。

瀧本翁の昔話を思い返し、更にその確信を持った。あの公邸に流れている奇妙な違和感と、いま抱いている焦燥感の原因はたぶん、そこにある。

肝心なときになると、却って話し合いの場を避ける。丁度いい体裁を隠れ蓑にして、何食わぬ顔をして日々の務めにのめり込む。そうしてどちらかが諦めるか痺れを切らすか、そこでやっと物事が動く。

―いつもそうだ。春美さんは。

長門のことに掛かりきりで、鷲頭の心情を酌もうとしてこなかった己を棚に上げて、ひとり深緑のなかで不貞腐れた顔をして佇む。気づけば、もう暗くなっていた。彷徨い歩いてかえりみれば、暖かな洋館の窓明かりが随分遠くみえる。

―まだ来ていないんだろうけど、戻らなくちゃ…。

そう思っても、足を踏み出せなかった。戻っても一人だとわかっている所へ帰りたくない。すぐ傍らの苔むした大きな倒木の幹に攀じ登るようにしてからそこへ腰かけ、膝を抱える。ぽつんと在る洋館のシルエットを眺めながら、鷲頭の厳しい顔を思い浮かべた。

***

午後には公邸を出られるどころか、鎮守府庁舎すら退けぬ事態になり、それでも表面上は、何事もない風をみせて、眉ひとつ動かさずに長官執務室の椅子のうえで泰然と構えている。

瀧本氏には直ぐに連絡を済ませて迎えは夕刻に変更して貰ったが、心苦しい。こちらから唐突に訪問を告げたうえに、この有様である。

長門の兵装について鎮守府に届いていない書類や連絡があるということで、そう遠くない過去にあった海軍汚職事件を匂わせるようなことにでもなれば、一大事であるからと、こうして急遽対応にあたっているのだ。

これも軍務なれば、と思っていても、脳裏には何度も嵩利の顔が浮かぶ。

今朝、何の前触れもなしに告げたこの“隠れ家行き”だったが、嵩利は僅か驚きに眸を瞠ったのみで、いつもの零れるような笑顔をみせることはなかった。

―私は、またきみに叱られるか、泣かれるかするのだろうな。

一度は甘い予感を誘っておきながら、その翌朝から頑ななまでの表向きの顔で隔てて過ごしていれば、嵩利でなくとも裏に何かあると勘付く。それ程の露骨なやり方で、嵩利との時間を引き延ばして今日に至っている。

―この逢瀬を最後に、私はきみから離れるべきなのだ。ここできっぱりと退かねば、これ以上は私の傲慢でしかない。きみには既に、私そのものを受け継いで貰っているも同然なのだからな…。

伴侶としての嵩利、海軍軍人としての嵩利。かれの将来をおもうとき、どちらに天秤が傾くか―。鷲頭は根っからの軍人だから、答えは決まっている。初めて嵩利に触れたとき、後悔せぬようにかれを育てると心に決めて以来、鷲頭の持てる全てを注いで、ここまできた。

贔屓目にみなくとも、いまの嵩利は立派に海軍大佐としてしっかり道を進んでいる。かれの現在の肩書きからして、それをあらわしている。

あとの問題は、鷲頭自身の内にある嵩利に対するどうにもならぬ独占欲と情欲だけだ。あの静かな森で、公務もなにも挟まぬ生のままの人として対峙したとき、鷲頭は嵩利の前でどれ程の間、冷静でいられるか―。

次々に届けられる遅滞していた書類に目を通し、再度の確認を経たのちに決済の判を捺しつつも、思考はそのことで埋め尽くされている。


公務を終えて鎮守府庁舎を出たとき、茜色に染まりはじめた空のしたに光の輪が閃いた。瀧本翁の迎えが来たのだ。車寄せに佇みながら、外套の襟もとに顎を埋めて首をすくめる。海からの風が少し強く、冷たかった。

「済まぬ、遅くなった。急がずにゆっくり遣ってくれ」

運転台から降りようとする前に手で制してから瀧本へ声を掛けると、客室の扉を手ずから開いてルノーに乗り込む。

客室を隔てる硝子越しに、瀧本翁が運転台から申し訳なさそうな表情を向けている。鷲頭はそれに応えて首を横にふってみせた。鎮守府の門をくぐったルノーは、なだらかな山道へ向かって、コトコトと走り出してゆく。

「御前、落ち着かれませ。まあ、慌しいご様子で…」

車を降りて、漸くまともに顔をあわせたとき瀧本翁が言った言葉がそれだった。仮にも海軍将官が、個人的な付き合いのあるといっても、迎えの車の扉を自らとって開けて乗り降りすることなどまずないことだし、明らかに落ち着かぬ気配を漂わせている。

「む…、うむ…」

何とも言えぬ困った表情で滝本に見詰められ、鷲頭は低く咳払いをする。

「ご公務のあとで、お疲れなのでしょう。暫しご休息を―」

「いや、待て。あれは―、嵩利は何処に居る?もう夕刻近いというのに、室内は何処にも明かりひとつ点いていないではないか」

確かに、明かりが点いているのは玄関のみで、他は薄暗いままだ。

「ご子息でしたら、午後過ぎにそのあたりへ散策に行くと仰られて、出てゆかれました…。この辺りで、迷われるとは思えませぬが」

「では、私はあれを探して連れ戻る。館の周辺には居るだろう。その間に、軽食でよいから、何か支度しておいてくれぬか」

瀧本翁の返事も聞かずに、鷲頭はくるりと背を向けて外套の裾を翻すと森の中へ足を踏み入れた。柔らかな土と草の感触を楽しむ余裕もないまま、心を急かして歩を進める。冬の陽が傾き、人影があれば見つけ出せる程度の明るさは、もうそう長く持ちそうにないだろう。

幾らか来たところで、一度洋館の方を振り返る。瀧本が明かりを点してくれたらしく、暖色に染まった窓の色がいくつも見えた。頼もしい道標ができた、と思いつつ再び森の奥へ目をむけたとき、やわらかな土のうえに靴跡が続いているのを発見した。途切れがちなそれを辿って進み―。

背丈を越す太さの幹を持つ大きな倒木が、まだ朽ちずに草のうえに横たわっているのが見えてくる。その幹にチョコンと乗っている影があった。嵩利がそこで膝を抱えて、背をまるめて座っている。膝に顔を埋めて、ぴくりとも動かない。

「嵩利」

こうして名を呼んだのは、随分久しぶりに思えた。

「春美…さん?」

耳に届いた声を疑うように一拍の静寂を置いてから、嵩利はゆるりと顔をあげて、呟くように答えた。鷲頭はすぐ近くの樫の傍らに立っていたが、濃紺の軍帽と外套は夕闇と溶け合って判別できなかった。

「何処、春美さん…」

「此処だ…、その様な心細い顔をするな。私は此処だ、そら―」

柔らかな土の所為で足音がしない。烏の啼く森の薄闇の中に佇む鷲頭が、本当にかれなのか。転寝の夢の続きなのかわからない。嵩利は両手を差し伸べて歩み寄ろうとするその姿に向かって、言った。

「其処に居るのがほんとうの春美さんなら、ずっとぼくの傍に居るって約束して」

「…居るとも」

「死ぬまで離れないって約束して」

「む…」

「ぼくは、ずっと春美さんと一緒に居たい」

「…こどもじみたことを言うな。きみはもう私などに構っている暇はないのだ」

「それなら、どうして今日こんな機会を設けたの」

「一度きりにすべきだったと後悔してはいないが、何事にも潮時というものがあろう。その時が来たからだ」

「そんなの、勝手です。ぼくの気持ちはどうなるんです…」

互いにまったく同じ想いを抱いている。嵩利の言葉に鷲頭の決意が揺らぐ。離れるべきではないひとつのものを、無理にふたつに引き裂くことこそ、傲慢か―

「―勝手、か。そうだな」

「春美さんは、本当にそれでいいの?」

泣き出しそうなふたつの眸で、木の上から鷲頭をじっとみつめている。胸を裂かれるような眼差しを向けられ、鷲頭は観念して顔をあげ、嵩利の眸を受け止めた。

手を伸ばして膝を抱える手に触れる。拒まれるかと思ったが、嵩利は甘えるような仕草で指を絡めてきた。きゅ、とちいさく握られただけで、かれの想いが伝わってくる。

「―いい筈があるか。きみだけは思い切れぬ」

「それなら、ずっと傍に居てください」

「死ぬまでか」

「その後も…ずっと」

「きみはそんなに欲の深い男だったか?」

「誰の所為でこうなったかは、考えないのですか」

「む…ぅ」

いつもの渋面になった鷲頭を嬉しげに見詰めて、嵩利は屈託なく笑った。

そろりと大木のうえから滑るようにして、差し伸べられた両腕に身を託す。そうして嵩利を横抱きにしたまま、鷲頭は洋館の明かりをめあてに、もと来た道を辿る。歩みに迷いはもうなかった。
→【34話】 →目次へ戻る

web拍手 by FC2

| 綿津見の波の色は・最新話 | 00:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

  綿津見の波の色は・第佰捌拾肆話

「如何なさいましたか」

「いや…案ずるに及ばぬ。森の中で転寝をしておったのだよ」

「ではこちらの居間へ…。御前もお体を暖めて、お寛ぎなさいまし」

「そうだな、夕食までそうさせて貰おう」

眠っているのではないから、会話の最中で瀧本翁の声音が明らかな安堵へ変じるのを聴いていた。嵩利は擽られるような心地だったが、愛しいひとの腕揺篭に甘えていたい気持ちが勝っている。鷲頭の肩へ頭をあずけて瞼を閉じ、身じろぎもしていない。

憩うが如く身を委ねてきっていた腕が、天鵞絨張りの長椅子をその代理として離れようとするのを、伸ばした手で広い肩を抱きすくめて拒む。むずかる幼子のように、くふんと鼻の奥を鳴らして鷲頭の首すじへ唇をつける。

濃紺の詰襟と僅かに覗く白い付襟。襟章の光る真正面はさながら、難攻不落の閉じたる門扉だが、首すじや項はふとするとあっけないほどの無防備をみせるときがあるものだ。

「悪戯が過ぎるぞ」

窘めつつ、褐色の精悍な頬を指さきで抓ったがそれは、ささやかな先手を取られたことを拗ねたが故の応酬だった。触れたのは僅かな隙、ほんの一瞬だが、軽く吸った肌に残した唇の感触は、艶めく予感を匂わせるのに充分足りたと、嵩利はほくそ笑む。

「どうしたの、春美さん…」

鷲頭は直ぐ離れようとせず、長椅子の前で片膝を落とした姿勢のままでいる。そこへ身を横たえている嵩利は近々と恋人の顔を見あげた。額と眉間の険しさはないものの、まだ何かを押し込めているような色の双眸がある。躊躇うように幾度も結びなおされる唇の奥で、どんな言葉を選ぼうとしているのか。

「…いや、止しておく。このような穏やかな明るさの中で言うべきことではない。後でよい」

少なからず胸をときめかせて待っていただけに、拍子抜けした嵩利は途端にむくれた表情になる。態と焦らしているわけではないのだ、と宥めるものを含ませて囁く低い声、期待を裏切った慰めに髪を撫でる柔らかい手つきが堪らない。

物憂げな甘さを漂わせて横臥している嵩利に、鷲頭はそれ以上は指ひとつ触れようとせず、無言のまま視線をかわしたあと、身を起こした。

「では…着替えてくる」

軍帽も外套も身につけたままだったことに漸く気づいた、という風であった。

「着替えないでください」

「ん…、何故だ?」

「物分りのいい大人の殻を被って、ぼくから離れようとした罰です。今夜はその鎮守府長官の身形のまま、過ごしてください」

「う…ぅ、それは―」

小悪魔そのものの笑みを向けて言ってはみたが、嵩利とて軍務に託けることで“物分かりのいい大人”の殻で鎧っていた。ひとのことは言えた立場ではない。それでも、もう二度と触れない、などと言った恋人に対して、このくらいの意地悪な要求を先駆けて突きつけるのは許されていい筈だ。

「いいでしょう…?」

暖炉の火あかりに染まった嵩利の貌は紅顔の美少年、と譬えてもよかった。しかし大尉の頃と違い、そこに少年の名残はない。抗う意志を溶かす蜜を満たした妖花に、濃厚な色気を含んだ流し目を送られては、勝てなかった。

「―わ、わかった…」

猫にも似た身ごなしで、嵩利は長椅子からするりと滑るように立ち上がると、半身を捩って鷲頭を振り返る。身につけているのは素朴な仕立てと生地の和装だというのに、いちいち仕草が艶かしくうつるのは、堪えねばならぬと抑えつけてきた欲の箍が外れかかっているからだろう。

「では、着替えてきますので。春美さんはここで暖まっていてください」

あの妖しき花の蜜を貪り尽くすか、溺れることになるか―。

その事象は、天秤にかけてみても針が揺れ続けるだけで、いつまでも測定できそうになかった。


嫌味な程に身形を端正に整えて、嵩利はやがて居間へ戻ってきた。

否、海軍士官―それも大佐にもなる者が、品良く且つ馴染んだ着こなしが出来ておらぬという方が、むしろ問題になるのだが―。鷲頭はその軍装の着こなしを合格点だと認めたが、今は到底褒める気になれない。

「長官、とお呼びしましょうか?それとも、御前、と?」

「いい加減にしないか」

態と煽っているのだとわかっている。肌を重ねる前のひと時を楽しんでいる。鷲頭の眼に浮かぶ羞恥と、烈しい情欲の焔を同時に炊きつけて、そのあと訪れる宵闇の中でどう焼かれても構わぬというように、不敵ともいえる笑みを浮かべている。

「お夕食の準備が整いましてございます」

と、一瞬空いたその間に瀧本の穏やかな声が悠々と響いた。それで幾分か“現実”に戻され、“殻”をかぶったふたりは素知らぬ顔をして、晩餐の席に向かうのだった。
→【35話】 →目次へ戻る

web拍手 by FC2

| 綿津見の波の色は・最新話 | 16:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

  綿津見の波の色は・第佰捌拾伍話

瀧本翁をまじえて食後の歓談を長々と楽しみ、それではごゆっくりお休みくださいませ、と丁寧な挨拶を残してかれが洋館を辞していったあと。再びふたりは居間に於いて対峙している。

ふっつりと言葉を切らせて一人掛けのソファに体を沈めたまま、じっと見詰めてくるまなざしが、一段と妖艶な色を含んで微笑みかけてくる。嵩利はそうしてゆっくりと小首を傾げてみせる。

その次には間違いなく、濡れたような紅い唇がひらいて、挑発するも同然の言葉を紡ぐ筈だ。

―こいつめ。

眉間を険しくして、内心で吐き捨てた。

猛禽の鷲と違わぬ鋭い視線で突き刺すように見返し、不埒な唇から甘い毒に浸された涼しい声が響く前にと、鷲頭は席を離れるなり、嵩利の腕を掴み取った。

「来い」

渦巻く感情に任せ、強引にでも寝室へ連れてゆくつもりの、粗暴とも言える挙動だった。

―漸く、か…。

きつく腕を掴む鷲頭の手の感触に、寧ろ嵩利は安堵していた。不器用に押し込めてきた伴侶への愛情を、苛立ちや怒りの中に熔かし込んでいるとわかっている。だから、業火に焼かれても構わない。

気になっているのは、ここまで煽らなければ殻を脱げない鷲頭の心情だった。それを全て吐き出させてやりたいと嵩利はおもっている。

薄明かりに浮かぶ寝室へ入り、真っ白なシーツの掛かった寝台へ抛り出されて、嵩利はされるがままに身を横たえた。そこへすかさずにじり寄った鷲頭が覆い被さってくる。

横臥したからだに沿って、軍装越しに鷲頭の体温を感じ、ゆっくりとした静かな息遣いを感じた。この生意気な大佐をどう料理してやろうかと、容赦なく組み敷いて身を暴く算段を立てているところなのだろう。そうであってもやはり、懐かしく愛しいおもいが胸にこみあげてくる。

「きみが言ったこと、後悔するなよ」

低く囁いてきた言葉も、嵩利は敢えて冷たくあしらった。

「後悔…?何を後悔するのです」

「私を傍から離さないことを、だ」

その声が苦いものを含んでいる。鷲頭の手が伸びて、肩へ掛かる。

―どうしてそんな声で言うの。何を危惧しているの…?

ぐっと強く掴まれて仰向けにさせられるなり、唇を奪われる。

歯列を撫であげながら舌を割り入れて、ぞろりと口内を探りだす。押さえ込まれた受身では抗えず、易々と舌裏の付け根を捕らえられて執拗に擽られる。

「ん…、ふ…っ」

弱点を攻めたてられ、喉をひくつかせて声をあげる。鷲頭の腕に押さえ込まれた肩が小刻みに震えてしまうのも、止めようがない。抵抗を諦めて弛緩しきった舌を翻弄するとなっても、攻勢は緩まなかった。

息を継ぐ間だけは与えられたが、唇を重ねる深さと角度を幾度も変えられて、蹂躙は続いた。嵩利の弱みを知り尽くしているだけに、嬲るような舌遣いは最早拷問に等しい。

「は…、ぁ…」

どれだけ長い時間経ったのか。

くちづけに篭められていたのは、情欲だけではない。それは長い言葉のかわりだった。嵩利は喘ぐように息をして、鷲頭の腕のしたで指ひとつ動かせない。眸を潤ませて半ば恍惚としてはいるが、ただ甘さに酔っているわけではなかった。

離れた唇は笑みすら浮かべておらず、涙に滲んだ視界では鷲頭の表情まで捉えられないと、利かぬ腕をあげて涙滴を払おうとした。

「思い切れぬからこそ、最後にしたかったのだ」

重々しい鷲頭の声が、静かに低く耳に届いた。

手首をそっと掴み取られて、するりと指が絡む。その触れ方には、ここへ連れて来たときのような荒々しいものがなくなっている。武骨な掌で手の甲を押し戴くように包んでから、唇を落とした。口許に整えている髭が甲を撫でて擽り、労わるが如くふたたび腕を寝台のうえに憩わせる。

「どうして―」

手巾で目許を拭われながら、嵩利は涙声のまま問う。

「黙ってひとりで負って、行ってしまおうとするのです。ぼくは春美さんの半身ではないの?」

「半身だとも。…だからこそ、だ。わからないか?」

「そんなの…嫌ですッ」

初めて抱いたときも、この海の子はそう言って駄々を捏ねて、鷲頭を困らせた。

「では、どうする?」

愛児を寝かせつけるように身を寄せて、鷲頭は嵩利の頭を撫でながら訊いた。そつなくあしらうようでありながら、甘さも匂わせている所作で、ずるい、と嵩利はおもった。

「どうもしません。春美さんはずっとあの青山の家で、ぼくと居てくれればいいンです」

「あの家に家族が増えても、私はきみを独占せずにはいられなくなる。時にはこうしていたいと思うぞ。それでも、きみはずっと傍に居ろと言うのか?」

「何だ…そンなの。お得意の雲隠れで、どこかへ連れ出して呉れりゃァいいだけだべ」

浜育ちのぞんざいな口の利き方で不貞腐れながら言って、ぷいと顔を逸らせるのを、鷲頭は呆れながらみている。呆れながらも、どこかでほっとしている。

「それでいいのか?」

「しつこいなァ、もう。春美さんが素直に欲を出すのは、ぼくにだけ。我侭を言うのも、甘えるのもそうでしょう。いいじゃないですか、白髪のじじィになってもそれで。陽当たりのいい縁側に来て、この膝を枕に昼寝できるのは春美さんだけです」

「…そうか。…そうだな」

一体、何を危惧していたのかと思えば。この結末に辿りつくのに、ああでもないこうでもないと、ひとり森を彷徨って悶々と考えこんでいた己を思い返して、ため息をついた。

「でも―」

不意に声を落とし、鷲頭の胸へ頭を預けて甘え掛かる。

「でも、たぶん…ぼくはとうに、春美さんの気持ちに気づいていたのだと思う。大佐に進級して艦長に就いてから、今日まで二年半近くもずっと、こんなことしなかったでしょう…」

「うむ…」

「軍務に託けて、見ない振り、気付かない振りをしていたんです。だから、春美さんを責めることを、してはいけないんだ…」

それについて鷲頭は否とも応とも答えず、抱擁と共にもう一度、嵩利の唇を塞いだ。それは強奪ではなく、真に愛情を篭めた、ひとつに解け合う時間の始まりを意味するくちづけであった。
→【36話】 →目次へ戻る

web拍手 by FC2

| 綿津見の波の色は・最新話 | 10:37 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。